平昌五輪で日本は決して「メダル量産」ではなかった
史上最多のメダル数だがメダル数シェアでは過去2番目
2016年9月、筆者はこの連載で、「日本のリオ五輪メダル数、人口比ではボロ負けだった!」という記事を執筆した。
これは、リオ五輪のメダル数について、夏季五輪としては過去最多となったものの、各国を人口比で見てみると、先進国の中で日本は最低レベルであり、メダルが増えた理由より、なお少ない理由や、そのレベルで満足していていいのかという点について、考えなければならないと指摘した。
今回も、2月25日に閉会となったピョンチャン(平昌)冬季オリンピック大会のメダル数について、さまざまな統計データを用いて冷静に観察してみよう。
まず、過去のメダル数との比較や、獲得目標との比較はどうなっているだろうか。
今回のメダル数は13個と、前回のソチ冬季五輪の8個を上回ったばかりでなく、これまで最も多かった長野冬季五輪の10個を3割も上回り、史上最多となった(図1参照)。また、日本オリンピック委員会(JOC)が掲げたメダル目標は、「複数の金を含む9個以上のメダル獲得」だったので、実績は目標を超過達成したといっていいだろう。
選手の意欲や、官民の応援の厚さなどから有利だと考えられる「自国開催」ではない大会だったにもかかわらず、メダル数が過去最多で、目標も上回った。その理由として、東京五輪招致を追い風にした政府のスポーツ予算の増加、あるいは、スピードスケートに象徴されるような、従来の企業依存から脱した「ナショナルチーム」による一括強化など、国ぐるみでトップアスリートの育成強化に力を入れるようになった点があげられることが多い。
今回のメダル数については、マスコミでは「メダル量産」というような表現もされているが、本当に獲得メダル数は増えていると言っていいのだろうか。
今回、日本選手が金メダルを獲得したスピードスケート団体追い抜きは、2006年のトリノ冬季五輪から採用された種目であり、また同じく金メダルを獲得したスピードスケートのマススタートは今回大会から始まった種目である。
考えてみれば、これらを含むメダル数を、その種目が存在しなかった大会のメダル数と、単純に比較するのはおかしいのではないだろうか。これは、名目GDPで経済がいくら伸びても、インフレだったら額面どおりに過去と比較できないのと同じ理屈だ。
図1に示したように、冬季五輪の種目数は著しく増えており、これに比例して、各国のメダル総数も増加の一途をたどっている。もともと種目数は、1924年の第1回大会の16からだんだんと増加。追加種目の中身は、スピードスケートの新種目のように、従来競技の延長線上の追加もあったが、多くは、フリースタイルスキーやスノーボードなど、若者受けする種目の増加だ。
その理由は、従来型のウィンタースポーツが、高齢者にしか人気がない点に危機感を持った国際オリンピック委員会(IOC)が、放送権料収入の維持拡大のため、コカ・コーラやマクドナルドなど、若者向け商品の広告主へのアピールを考え、ユーチューブや、ツイッターでフォローされやすいような種目を増加させたためといわれる。
種目数の増加の影響を除いた「実質メダル数」を指標化する方法としては、「種目数に3を掛けたメダル総数に占める獲得メダル数の割合」、つまり「実質メダル数シェア」を出せばよい。この値の推移を図1に併載した。
これを見れば、今回のピョンチャン五輪は4.2%となり、長野大会の4.9%を下回っていることがわかる。また、自国開催以外の大会としては、過去最多となっているが、1994年のリレハンメル大会における4.1%とほぼ同等だったことも分かる。
メダル数は、さまざまな取り組みを進めた結果、確かに「量産」されたが、それでもなお、「実質メダル数シェア」では、過去のピークと同等レベルにまで漕ぎ着けただけなのだ。
このように、メダル数が相対的にはそれほど伸びない要因としては、やはり、少子・高齢化の影響で若者の数が減ってきており、競技人口のベースが縮小傾向にある点が挙げられる。
例えば、高校総体のスキーの参加者は2002年度の4157人から17年度は2314人と半分近くに減ったという(朝日新聞2月23日付け)。メダル数そのものの増加に目を奪われることなく、実力レベルをフェアに評価した上で、今後の対策を進めることが望ましい。
夏季と同様、冬季のメダル数は人口対比で先進国最低レベル
過去の実績との比較から、目を海外に転じて、メダル数の国際比較を見てみよう。
オリンピックは、世界各国の選手団が競い合う競技大会なので、やはり、各国別のメダル数のランキングが大きな興味の対象となっている。各国比較で、日本の位置はどう評価したらいいのだろうか。
まず、単純なランキングである。基本的にオリンピックのメダル数ランキングは、金、銀、銅の順番で優先順位をつけたランキングとして発表されるのが通常パターンだ。日本は、図2の通り、スイスに次いで世界ランキング第11位である。なお、メダル総数ではロシア(個人資格)に抜かれ、第12位となっている。
メダル数の評価で重要なのは、人口規模だ。人口1億人の国のメダル数が人口10万人の小国のメダル数を上回っていたとしても、それほど驚くには当たらない。世界に通用するレベルの競技能力を持つような、素質のある人間が現れる確率は、国によって人口当たりではそれほど大きく変わらないと考えられるので、人口規模の大きな国は、それだけ多くのメダル数を獲得してもおかしくないはずだ。
冬季五輪の場合、ウインタースポーツが盛んな寒冷地域や、山岳地域を有する国のみが対象となるが、その範囲で同様のことがいえよう。
図2では、この点を考慮し、もし日本と同じ人口規模だったら、各国は何個のメダルを獲得したことになったかという数字(「人口調整メダル数」と呼ぶことにする)を掲載した。
メダル数上位国の中でも、ノルウェーは39個とドイツの31個、カナダの29個を上回ってトップとなっているが、ノルウェーの人口規模は535万人と、ドイツやカナダより圧倒的に少ない。ノルウェーの人口調整メダル数は、927個と圧倒的である(人口3.8万人のリヒテンシュタインが銅メダル1個で、人口調整メダル数が3333個とさらに多いがこれは少し特殊な例だろう)。
米国は、メダル数23個と日本の1.8倍となっているが、人口は3.3億人と日本の3倍ほどだから人口調整メダル数は9個と、主要先進国の中では英国とともに日本を下回る数少ない国の一つだ。
ノルウェーに続いて人口調整メダル数が多いのは、スイスの223個と、オーストリアの203個だ。やはり、ノルディックスキーの本場であるノルウェーや、アルペンスキーの本場であるスイスとオーストリアで、ウィンタースポーツが盛んであることを反映した結果となっているといえる。
アジアは暖地が多いので、冬季オリンピックへの参加は少なくなっており、アジア地域でメダルを獲得しているのは寒冷地を抱える東アジア3ヵ国(日本、韓国、中国)にほぼ限られている。
この3ヵ国の順位については、メダル数でも、人口調整メダル数でも、韓国、日本、中国の順となっている。韓国が最多であるのは今回の大会開催地であることから当然だとしても、中国は次期冬季五輪の開催国なので、もう少しメダルを獲得するかと考えられていたが、ふたを開けてみると予想外に少なかったといえる。
世界トップクラスに躍進したフィギュアスケート
以上のように、日本の獲得メダル数を冷静に評価すると、時系列的には過去のピークにまでやっと回復したにとどまり、各国比較では、英米を除く主要先進国中で最低レベルなので、手放しで喜べるような結果だったとは言い難い。
しかし、個別の競技種目に着目すると、日本の躍進がめざましいものもある。
図3には、フィギュアスケートシングルのオリンピック最高成績の推移を示した。男子も女子も、かつては非常に低い水準であり、アジア人にフィギュアスケートはそぐわないと思われるような状況だった。だが、徐々に成績を向上させ、ついにトリノ五輪では、荒川静香選手がアジア初の金メダルに輝き、さらにソチ五輪と今回大会の両方で羽生結弦選手が金メダルの連覇を果たすなど、世界トップレベルの地位を示すようになった。
今回、女子フィギュアは、ロシアの華々しい活躍で多少かすんでしまった感はあるが、宮原知子選手が4位入賞となっている。折れ線グラフで長期的な傾向を追えば、男子同様、大きな変動を伴いながらも、上昇していく傾向線上にあることが理解できよう。
フィギュアスケートのこうした上昇傾向は、女子が男子に先行していた点も見逃せない。
今回、金メダルに輝いた羽生選手は、スケートに熱中していた小学4年生の頃に通っていた仙台のアイスリンクが経営難のため閉鎖され、練習に集中できない状態が続いたとき、2006年のトリノ五輪で金メダルを獲得した荒川静香選手の姿に感動して、スケートへの情熱を取り戻したという。
一方、銀メダルの宇野選手は、5歳で初めて名古屋のスケートリンクに立ったとき、当時まだ12歳だった浅田真央選手から、「スケートやりなよ」と声を掛けられたことが、フィギュアスケートの道に入るきっかけとなり、さらに、選手になってからも浅田選手から日頃の練習や生活習慣を学び取ったという(東京新聞2018.2.18社説)。
つまり、フィギュアスケート女子の躍進が、男子の躍進につながったのだ。
おそらく、今後、五輪における日本の総体的な大躍進は、どれだけ努力したとしても、少子高齢化や財政的な制約を踏まえると、かなり難しいと考えられる。
しかし、今回のピョンチャン五輪で示されたフィギュアスケート男子の大活躍や、スピードスケート女子(個人、団体)の好成績が、日本人の心にともした精神的な効果は決して小さいものではなかったことも事実である。
そうであれば、オリンピックなどに代表される競技スポーツの振興については、全体的な底上げもさることながら、日本が特に力を入れているスポーツに重点を置き、個々のアスリートがレジェンドを積み重ねて行くことできるような“環境”を整えていくことが、日本に残された最善の対策なのではないだろうか。