二つの世界モデルとシミュレーション機能 自己所属感と自我違和感 山内教授 2008-5-24

二つの世界モデルとシミュレーション機能 自己所属感と自我違和感 山内教授 2008-5-24

司会.
先生、世界モデル1と2は無駄に二つあるような気がします。
同じならひとつでいいわけですし、
違うなら困るでしょう。

PEY.
衆議院と参議院だね。
私は二院制を左脳と右脳にすればいいと思っている。

それはいいとして、
世界を生きていて、脳は時々刻々と世界を体験して、
世界モデルを写し取り、蓄積している。

それは時間順に、脳の古い層から順に写しが作られてゆく。
そして、ときに「退行」して、
古い回路が働く。
その他、分析でいう「防衛機制」というものは、
過去の適応的メカニズムの蓄積であって、
抑制とかそんなモデルは必要ない。

新しい適応メカニズムから順番に試して行って、
だめだったら次第に古い適応回路を使う。

これは回路を実際に使用してみて、だめだったら、
回路がダウンするので、
一階層下の回路が出現する。
ジャクソニスムだ。

これだけで解釈できるんじゃないか。

*****
同じ入力なのだから、
写し取られるものも、同じはずだ。

だから、本来は猫の脳だけでいいはず。
世界モデル1.だけで充分なのだ。

自意識というものはなくて、ただ反応しているのだ。
自由意思は錯覚なのだ。

実際人間も猫と同じなのだ。
猫の自意識を体験したことがないから想像だけれど。

なぜ自意識=世界モデル2.が発達したかと言えば、
機械意識は、実際の出力をしてみるより先に、
世界モデル2.に打診してみて、出力の結果をシミュレーションして、
その後で実際に出力できるようになった。
これは世界モデル2.の本来の利用の仕方で、
自意識という現象は付随的なものに過ぎない。

世界モデル2.は、自動機械からの打診にも、律儀に答える。
だから存在意義がある。
しかし世界モデル2.は自意識を発生させ、
自我の能動性と呼ばれる現象が発生し、
ひいてはさせられ体験と幻聴が発生する。

司会.
なるほど。
世界モデル2.は世界を写し取り蓄えることで、
世界のシミュレーションを実現するわけですね。

PEY.
そう。
ここは微妙なところで、表現がまだ未熟だけれど、
刺激→世界モデル2.→運動
という回路は、実際の運動にはつながっていなくて、
世界モデル1.で検証されているわけだ。

こうしてできた世界モデル2.は
運動→現実世界→刺激
という経路とつながって、ループを形成するので、
ちょうど、現実世界の「倒立像」になる。

その倒立像をもう一度逆転させてさせて、
外部世界の代わりにして、
シミュレーションを実行して出力している。

司会.
分かりにくいけど、わたしには分かります。
これはわたしが書いているんですから。
でも、分かりにくいでしょうね。
そして、分かったとして、何の利益があるんですか?

PEY.
君は知的な興奮というものを感じないかな?

まあいい。

利益は疾病モデルを提供することで、
モデルがある限り、患者さんの不安はそこで止まる。

たとえば、自我違和感ということが言われる。
精神病理学では大切な指標だが、
一体何のことかよく分からない。
直感的にはわかるが客観的には定義しにくいものだ。

せかいもでる1.と2.は原理的にはズレはないのだが、
何かの事情でずれたとすれば、
自我違和感になるだろう。

自分ならそんなことはしないのにというような事をやってしまっている。

また、世界モデル1.と2.との出力の時間差ができているのが普通で、
ここで能動感の錯覚が生じているのだが、
ここの時間調整が逆になれば、
させられ体験になる。

行為や思考の自己所属感というものも、
精神病理学では問題になる。

自己所属感は能動性と解釈すればいいと思う。

そんなわけで、自我障害を説明できる。

司会.
たとえば、従来は、強迫性障害は自我違和的で、
パーソナリティ障害などは自我親和的なわけですね。
このあたりの違いだと思えばいいわけですか。

PEY.
そう思います。

司会.
でも、先生。だんだん違う事を言っているような気がしますが。
それに、統合失調症も躁うつ病も説明できませんよね。

PEY.
そう思います。
考えはすこしずつ発展するだろう。
だから書いているんだ。

統合失調症の進行性崩壊性メカニズムについては、これとはまったく別だと思う。
躁うつ病については、MAD理論を用意した。
うつ病と呼ばれているものを分類して、説明するにはまだ工夫が必要だ。
しかし原則的に無理はない。

不安性障害については説明できると思う。
パーソナリティ障害についても、
一部は世界モデルのズレだと思う。

そもそもパーソナリティ障害は、
いつ始まったとも言えない、人生の初期から持続してある人格の傾向だから、
世界モデルそのものだ。

自分に不利だと充分に理解しているに、
その行動をしてしまうのは、
世界モデル1.に埋め込まれしてまった回路だからだ。
回路を訂正しないといくら説教しても無駄というものだ。

パーソナリティ障害の人たちは、
診察室では実に理性的で立派な事をいいます。
そうできない人たちは、知的な障害を考えた方がいい。
診察室でどう振舞うべきか、そのような知性がないのだから。

診察室では立派な洞察のできる人が現実の場面になると
どうしても困った回路にはまり込む。

境界性や自己愛性の障害はそんな感じでしょうね。
もっと適応の低いパーソナリティ障害もあるし、
強迫性パーソナリティ障害などというものもありますが、
これなどは定義の違いで、
わたしはパーソナリティ障害と言う必要はないと思っている。

強迫性という言葉を用いるときも、
自我違和的なもの、かつ、自己所属感の明白なもの、と私は定義しますが、
「自我親和的な強迫症」という言葉を使う人もいて、
それがかなりの大御所なのだから、
そのような人たちも多いのだと考えざるを得ないが、
そうだとすれば、強迫性の指標は、「分かっているけどやめられない」
の程度になるだろう。

説明と定義を一緒にやってしまうのだから、
横柄なものだ。

司会.
先生、まだまだ考え中なんですね。

PEY.
そうだ。だからスリリングだろう。
発想の現場に居合わせているのだから。
さっき風呂場で思いつついた事を書いているんだ。

司会.
スリリングというのは本人で、迷惑でもあります。
人間はこの程度に自分勝手だということですね。

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