病前性格を記述することの難しさ 2008

病前性格を記述することの難しさ 2008

病前性格と一言でいい、
病気ではなくても、性格は?なんていうのだが、
そんなに簡単ではない。

どんな場面名でどんなふうに反応するかが性格というものの全体であるが、
たとえば診察室でその全部を把握することはできない。
診察室での態度、話し方、話の内容、医者、事務への態度、そのあたりがせいぜいである。

人間の性格の一番くっきり出る場面は、集団場面であり、
デイケアなどで集団運営すると、それはもうくっきりと現れる。

これは学校の先生が生徒の特性を把握するときの印象に似ているだろうし、
会社の上司が集団としての部下を率いているとき、観察される部下の行動特性に似ているだろう。

二者関係での性格特性と
多者関係での性格特性はかなり異なる。

二者関係の性格特性の原型は母子関係であるが、
母子関係がずれていたら圧倒的に問題だし、
母子関係は基本的に問題ないとしても、
それをいつどのような場面で出すかという事は、
大きな問題である。
しばしば不適切な場面で二者・母子関係を持ち出してしまう。

親から見えている性格も一部ではあるが、独特であるから、
治療者に話していただけば、大変参考になる。
同時に、親の性格も大体分かる。

性格検査用紙で分かることは、性格の一部でしかないし、
医者の知りたいこととは少し違うことのようだ。

性格検査で見えてくるものは、単にどの項目に丸をつけるかではなくて、
そのときのつけ方の全体がどんな風だったかである。
そこにある種の特性が現れる。

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一人の人間が同じ場面で違う行動をする。
その場合、性格をどう記述するかも、問題である。
性格傾向として記述すれば足りるのか、
あるいは、
普段と違う行動をしていること自体が問題なのか、そのあたりもある。

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生育の各時期で、性格は環境への適応として獲得される。
それが年輪の様に刻まれている。
医者は診察室で話を聞きながら、その性格の年輪をたどってみる。
それは時間がかかるし、終わりということもない。

しかしそのように蓄積された性格のレパートリーは、
生活のいろいろな場面で顔を出す。

例えば、仕事のとき、上司に対するとき、親に対するとき、子供に対するとき、妻に対するとき、アルコールが入った時、昔の友達に会ったとき、異性との場面、危機の場面、
ときどきは、これがその人かと思われるような行動をしたりする。

多くは過去の行動パターンの応用である。
だから、現在を見て、過去を推定できる。

現在起こっていることは、診察室でも起こる。
強迫性の人は治療にも強迫性になる。
被害的な人は治療場面でも被害的になる。

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治療場面と、現在の生活と、過去の生活と、三者は重なり合う。
重なり合ったところに「中核問題(Core Conflict)」が存在する。

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そのように、性格は層構造をなしていて、
違う場面では違う性格を発揮するものだ。
その全体を統合するものがセルフ・アイデンティティというものだ。
ここが定まっていないと、どんな場面でどんな行動をするか自分でも分からなくなる。

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こんな中では、
よそよそしさや親しみやすさは、比較的分かりやすいものの一つだ。
対人距離と言ってもいい。

例えば、飛行機で、向こうも慣れない英語で、フィンランドの中年婦人が話しかけてくる。
当たり障りのないことを言っておくわけだが、
そんなとき、対人距離の感覚が出る。近いか遠いか。

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対他配慮を対人距離に還元するのは無理なような気がする。

対他配慮は、自我防衛のなかでも高次のもので、
めったに批判されず、おおむね尊敬され、いい結果を産む、
親切のイニシアチブのようなものだ。
相手に合わせて相手が気持よくなるようにするという、
お茶やお花のおもてなしのようなもので、
あくまでも相手にあわせて、
親切の先制攻撃をするのである。
必勝パターンである。

このような高度な技はなかなか要素に還元できるものではない。
まず相手のことが見えていないといけない。
そして、自分のできることが分かっていなければいけない。
その上で、喜んでもらえるように配慮するのだから、
大変に高級である。

対他配慮のできる猫など、いそうもない。
犬ならできるかもしれない。

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この、犬ならできるかもしれないというところが、
ひょっとしたら、順位性社会の原理に還元できるかもしれないと思う点なのだ。

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むしろ、利益を未来に預金するみたいな感じだと思う。

この言い方でいうと、
協調性は対他配慮とかなり違う。
協調性は先制的なところが薄いし、親切をするというよりも、
その場の空気に反対はしない、感じがある。

協調性の範囲でのリーダーシップは、
なんとなくできた合意をそのまま保持するというだけのリーダーシップのようだ。

積極的に妥協点を探す調整型でもないし、
自分の考えに同調させるよう引っ張って行く型のリーダー(これが本来のリーダーだが)
でもないように思う。

協調性は日和見と言ってもいいし付和雷同と言ってもいいくらいのものも含む。

笠原先生は積極的に対他配慮と考えているようだ。
利他行為と関係していると思う。

利他的行動も動物に深く根ざしているものだ。

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