喫煙者は被害者か 2008-5-31
税収をあてにしている財務省、
利益をあてにしているタバコ企業、
客を維持するためにタバコ環境を維持したい飲食店、
これらが一緒になって
喫煙者が成立していて、
むしろ喫煙者は被害者ではないかとの意見。
話の全体はそこにとどまらず、
結局は個人的に禁煙が大事、
でも、財務省も企業も悪い、というような論旨のようだ。
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依存形成にあたり、
どこまでが本人の責任で、
どこまでが周囲の責任であるかについては
いつも議論がある。
同じような話は殺人者にも言えるのであって、
殺人の動機を形成した過程を詳細に分析すれば、
むしろ被害者とも言い出しかねない。
そうではなくて、そのことは前提として理解したうえで、
なお、喫煙者は加害者であり、
禁煙する責任があると言っているのだろう。
いろいろな要因はあるに違いないが、なお、
最終的な行動として殺人を選んだことは、
紛れもなく罪を負い、償うべきであると決めているのである。
自殺も似たような側面がある。
これからの社会から自殺と殺人と喫煙を減らすためにできることは何かを考えよう。
財務省とJTに負けない力を個人に求めているのだろう。
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そうは言いつつも、宣伝会社がこれだけ儲けて、
社会的力、なかでも政治的力をつけているということは、
宣伝が有効であるということで、
個人の無力を感じてしまうところである。
したがって、対抗宣伝を流す必要があるのだと思う。
マインドコントロールを解除する映像を流す必要がある。
依存者は依存者を再生産する傾向がある。
アルコール依存と共依存者の組み合わせがアルコール依存者とアダルトチルドレンを再生産する仕組み。
暴力依存者が暴力依存者を再生産する仕組み。
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このところますます新聞は映画広告媒体のようになっていて、
タイアップ記事も目立つようになっている。
こうした産業構造の一部には
アルコール産業、タバコ産業、自動車産業、セックス産業などが
必然的に密接に絡んでいるのだろうと思う。
映画が廃れないのは、
全国にシネコンプレックスが林立した事情もあるが、
宣伝媒体として抜群に優秀で能率がいいからである。
自動車産業がタイヤ屋、道路屋、ガソリン屋までふくめた巨大複合体に成長しているのと同じで、
映画産業はいまや巨大複合体である。
タバコの害を百回言われても、
映像の中で女優が素敵な感じでタバコを吸っていれば、
全部忘れるのである。
子供のためにあれだけ食事に神経質になる母親という存在が、
若い一時期に子宮によくないアルコールとタバコに寛容であるという不思議。
これは明らかに大量宣伝が生み出した最近の新しい傾向である。