日本の水耕時代以前、漁猟、木の実の採取、細々とした農耕が、今から5000年以前、
縄文といわれている人々は従事していました。
日本の場合、漁猟、海藻の収穫が結構安定していたので、人々は定住的であったそうです。
この時代は、核家族です。
近接居住、バンドの形成はあっても、各親子夫婦、所帯は核家族として生活していました。
大家族のままでは、厳しい自然に臨機応変に対処できませんでした。
水耕が大陸やって来たころから、人々は複数世代の居住、定住となり、所謂直系家族となりました。
これが長男が代々土地、農具を相続する農家です。
祖父から孫まで、3世代での農作業、土地の細分化を阻止する長子相続が定着しました。
ところがかっての江戸のような大都会、或いは今日の首都圏では、核家族、平等主義核家族にならざるを得ません。
核家族でなければ、狭い居住空間、細分化された職能に対応できないからです。
ある意味、より古い時代、水耕以前古代、縄文に戻ったわけです。
勿論、今でも広大な農地を相続し続けてきた東北、東日本の農家、
首都圏でも男子嗣子相続の大都会の旧家では依然として直系家族のままですが。
この間の価値観、行動規範の激変と、モザイク化を自閉症の背景として無視できないと、私は考えます。
自閉症スペクトラムに親和性のある者は、直系家族主義の時代では、その特質を生かして個別的職業、工芸、職人、個人稼業を生業としてこれたのかもしれません。
今の平等主義核家族が主体の大都市圏では、べたな資本主義的マニュアルから疎外されやすい自閉症的な人々を峻別しつくし、差異化しつくすためにかの人々を生きにくくしているのかもしれません。