認知療法。しかし自分を訂正することはかなり難しい 。
物事を認知できれば訂正できるかという問題。
たとえば、自分の悲観的思考の傾向を認識できれば、訂正できるだろうとする考え。認知療法の基本コンセプトですね。
ブリジストン美術館でわたしはゴッホを見る。ピカソもセザンヌもモネもルノアールも有島もエジプトの宝物も見る。どれもそれぞれに素晴らしいと感じる。でもわたしには描けない。
精神科領域で、風景構成法という技法がある。最後には風景ができあがるのだけれど、描いた人に最後に感想を聞くと、「変ですね」と言ったりする。描いた結果については「変だ」と評論できるのに、自分で描く時は変だけど描いてしまうのである。
そこが不思議だと思う。変だと思うのになぜ訂正できないのだろう。自分の絵について、変だと思うことができるならば、次からは訂正できるはずではないか。
でも、もちろん、訂正はできない。わたしも同じで、自分の絵は稚拙だと思いつつ、どうしても稚拙な絵しか描けない。
絵だから自己批判も簡単だけれど、目に見えないことについてはもっと難しい。
人間が自分を訂正するのは、かなり難しいことなのだと認めざるを得ない。