対人恐怖症と社会不安障害:
伝統的診断から社会不安障害を考える
笠原嘉
Taijin-kyoufu-shou(対人恐怖症)の研究がわが国で
森田正馬によってはじめられたのは1920年代である.
ニューヨークのLiebowitz,Schneier氏らが社会不安障
害(social anxiety disorder:SAD)(DSM-IV)の前身
であるsocial phobia(DSM-Ⅲ)を新しくつくったのは
1970年代である.social phobiaのもとになったのはイ
ギリスのMarks Iで,1950年代だったと思う.これらの
間に多少の違いはあるにしても,人前で過度に緊張し不
安になり,そのことを必要以上に苦にするタイプの悩み
であることに変わりはない1).
今日,SADという病名を使うことは世界的視野をもつ
という点でもちろん喜ばしいことだが.わが国で診断し
治療しようとすれば,約五十年の歴史のある対人恐怖症
の研究史を忘却すべきではないだろう.文化結合的な側
面も否定しがたいし,森田療法という精神療法の力も借
りるとよい,と思うからである.
以下,対人恐怖症の研究史をざっと振り返る.
◆1.1920~30年代の対人恐怖症
1)森田の研究
森田正馬の「森田神経質」2)研究はわが国のオリジナル
な精神医学業績の一つとして特筆すべきものだが,その
なかで記された「対人恐怖症」という中心概念は,今な
お生きている.
表1.森田療法の標語
●症状をあるがままに
●常に何かをする生活
●形を正す
●気分本位をやめる
●愚痴を言わぬ
●病気の中に逃げ込まない
●完全欲にとらわれない
●自信をもとうとしない
(森田正馬,1975 2)より引用)
森田神経質はわが国の神経症研究のはじまりでもあっ
た.治療法から生まれた疾病概念である点でも興味深
い.また,多軸評価としてI軸(症状)とⅡ軸(性格)
を含む点も面白い.つまりI軸は対人恐怖で,Ⅱ軸は森
田神経質である.臨床症状と人格をセットでーつの概念
にした試みは,後にErnst Kretschmerの「敏感関係妄
想」くらいしか例がないのではないか.
治療について,森田は“ヒポコンドリー基調→精神交
互作用→とらわれ”という日常心理学的で単純かつ理解
しやすい構図をつくった.ヒポコンドリー基調とは,身
体の好不調を気にする性向を指し,いろいろ気にするう
ちにそれが徐々に症状になり,とらわれてしまう.いか
にして身体への注意を外すか.このあたりは認知療法の
一端に十分組み入れることができるだろう.「ライフス
タイルを変えさせる」ことが目標である.そのために彼
が作った標語を表1に示す.注目すべきは,「症状をあ
るがままに受け入れよう」,「常に何かをするような生活
をせよ」という言葉であり,これはライフスタイルに言
及しているともいえる.「形を正す」とは,何かをきち
んとやることであり,明治時代の人の独特の感じが表れ
ている.また「気分本位をやめる」,「愚痴を言わない」,
「病気の中に逃げ込まない」.「完全欲にとらわれない」,
「自信をもとうとしない」なども面白い.少し逆説的で
あるが,「自信をもて」ではなく.「自信をもとうとして
はいけない」.これは自信をもとうとするから症状を悪
くすると考えるのである.
2)力動精神医学の研究
また当時,精神分析がわが国に流入しはじめたころで
あった.そして専門家も赤面恐怖などを取り上げてい
る.たとえば山村道雄は,「赤面恐怖への精神分析研
究」3)という業績を発表した.その当時の精神神経医学
会の抄録集を読むと,面白いことに森田療法と精神分析
はいつも鋭く対立していた.深層心理を考慮に入れる仮
説を森田一派は嫌ったようである.
同じ頃,海外ではドイツのKretschmer 4)が敏感関係
妄想という概念をつくった.米国精神医学が主流になり
彼の名は消えてしまったが,心理学者Theodore Milon
のつくったDSM-IVの301.82“avoidant personality
disorder”はKretschmerを取り入れた跡がある.これ
は対人恐怖と関係がある.
◆2.1960~70年代の臨床研究一重症型への注目
1960~70年代のわが国の臨床研究では,どういうわ
けか「重症対人恐怖」が着目された.重症とは独特の妄
想をもち,たとえば,自分から匂いが出ていて人に嫌が
られるという妄想をもつ体臭恐怖などがその典型であ
る.1961年,はじめに足立5)が「嫌な匂いを発散させて
いる」という題で症例を1例報告したことに端を発し,
多数の報告があいつぎ,自己臭恐怖という概念が広まっ
た.当時,「ボーダーライン」という概念がわが国の精
神科で流行っていた現代の米国のボーダーライン性格
障害ではなく,分裂病と神経症のボーダーラインという
ことであった.Hochが,pseudoneurotic schizophrenia
(偽神経症性統合失調症)という概念を提出したの
とよく似ている.この考えもDSMでは消えてしまっ
た.後述するが,この境界例は時々精神病的になり,特
に妄想が出現する.それをHoch 6)は「小精神病(micropsychosis)」
とよんだ.現在はbrief psychotic disorder
(短期精神病性障害)といえる.ある種のタイプ
の患者は普通neurotic(神経症的)といえる範囲だが,
時々psychotic(精神病的)になる.そのpsychosisの
状態は,自己臭であったり,自分の顔貌や目つきや雰囲
気が人に迷惑をかけると思い込んだり,人を傷つけてい
ないかと案じる.
1967年,植元と村上7)は「思春期における異常な確信
的体験について」という論文で思春期妄想症を記述した
が,これも精神病のステージが対人恐怖症の範疇の一部
にありうると考えればよく理解できる.1972年,筆者
らも「正視恐怖・体臭恐怖」8)という本を書き,[自己視
線恐怖],「重症対人恐怖」,「自己漏洩」という概念を提
示した.自分の視線が人を傷つけるという思い込みであ
り,そのため人と目を合わせられない.この記述は外国
文献になかったので,米国の知人に相談して,「目と目
を合わせることの恐怖(Fear of Eye-to-Eye Confrontation)」
という言葉をつくった9).これはDSM-IVにも
一行だけ出てくる.“blushing”“eye-to-eye contact”
“one’s body odor”とあり,“taijin kyoufusho in Japan”
と書いてある.
なお,われわれはこの小著の中で,重症型を考慮に入
れて対人恐怖症を臨床的に四段階に分けた.つまり,
①平均者の青春期という発達段階に一時的にみられる
もの
②純粋に恐怖症段階にとどまるもの
③関係妄想症をはじめから帯ぴているもの
④統合失調症の前駆症状として,ないしは統合失調症
の回復期の後症状としてみられるもの
に分けた.これはこの小著のメインな主張ではなかった
が,幸い思った以上に引用され,感謝している.
治療についても当時熱心に行った.たとえば,筆者は
自由連想期間も含めて四年をかけた一重症例の精神分析
を報告した10).
同じ頃(1977),山下格は北海道での自家例100例を
丁寧に分析し,確信型と称するタイプのあることを述べ
た 11,12).
◆3.1980年代(DSM)以後
1980年代,DSMにsocial phobiaという概念が登場
した.DSMは米国と英国の概念を合わせようというの
を目的の一つにしていたもので,イギリスのMarks I
のsocial phobiaという概念をそのまま受け入れたわけ
である.
しかし1990年にニューョークでのAPAシンポジウ
ム13)においてsocial phobiaが取り上げられた際,聴衆
は少なかった.人々の関心はまことに低かったと言わざ
るを得ない.筆者はLiebowjtz氏とShneier氏からの
促しを受けて,“social phobia in Japan”というテー
マでシンポジウムに参加した.しかし薬剤の話ばかりで
あった.
1987年にソウルでsocial phobiaの日韓のシンポジウ
ムが開かれ,わが国から土居健郎や森田療法の研究家
など5名が,そして韓国側も5~6人が参加した.この
シンポジウムは2000年にもう一度開かれた.意外にも
韓国にも視線恐怖は存在するという話が出た.
1997年にClarit,Shneier,Liebowitz 16)が,“The
offensive subtype of Taijin-kyoufu-sho in NewYork”
という論文を書いている.重症型は,offensiveで「視
線が人を傷つけたりする」ということを表しているのだ
ろう.
わが国でも2000年にlwaseらは,“Performance,
interpersonal,offensivetype”を発表している.2003
年には永田ら18)は,「治験広告によって来院した症例」
を発表した.治験広告は米国の新聞にはよく掲載されて
いる.軽症の人が多数応募してくる.自発的な来院例に
はならなくとも,日本人だけではなく他国でも患者が多
数潜在しているといえるのか.
◆4.2000年代の症例
現代の症例として,最初に中年,特に30代なかばの
婦人と,つぎに青年の重症例をあげる.最初の中年の婦
人は,子供が大きくなるとPTAへ行かなくてはなら
ず,久しぶりの社会状況が与えられたため,対人恐怖が
生まれる.よく聞いてみると,じつは若いときにも似た
症状はあったという人もいる.結婚して家庭の中にいる
間はあまり問題にならなかった.しかし,PTAなど社
会的かかわりが必要となってからはじめて出現したとい
う人もいる.筆者は「PTA症候群」と称しているが,
よくみられるケースである.この程度の患者にはSSRI
で効果がある.しばらく通院して半年ぐらいでほぼ終了
する.終了しても完治したかどうかはわからないが,ク
リニカルケース(臨床例?)ではなくなる.今のところ
筆者の所ではそのような患者が再来した記憶はないの
で,寛解するのではないかと思う.これは対人恐怖でも
比較的軽いタイプであろう.
つぎの問題は青年の重症例で,20~25歳ぐらいの患
者で.前述した重症型,あるいはoffensive typeであ
る.筆者は今でもHoch&Pollatinという人の概念で
ある小精神病(micropsychosis)という言葉を使って
いるが,慢性状態の一時期に急性発症で妄想が起こる.
平素ばSSRIで治療し,小精神病のときには非定型抗精
神病薬の少量で,症状を収める.
社会適応は意外によく,引きこもらずに軽職に就く人
が多い.森田神経質の人は基本的に馬力があり,それほ
ど弱くはない.しかし,根治はなかなかしない.少し良
くなるとすぐ来なくなる傾向がある.昔と違って薬を使
用すれば成長が望まれるかと思い.心理カウンセラーに
1~2週間にI回,カウンセリングを継続してもらって
いる.
social phobia研究で残された最も大事なことは経過
研究であろう.EBM(evidence-based medicine)にも
とづく公衆衛生的データから長期経過がわかると治療が
やりやすいだろう.薬物療法では,SSRIと非定型抗精
神病薬の少量を併用し処方している.しかし要は,長く
診察することではないか.本人が来たいときに来られる
ようにすることが大事だと思う.
森田療法とは生活を変えて何かを発見するためにゆっ
くり長く診る,ということだろうか.森田療法とは本来
は入院治療であり,一緒に生活し,ライフスタイルを覚
えさせることだともいえる.昔はそのように行っていた
が,現在の病棟では時間などの面で森田療法はそぐわな
い.
◆5.症状形成の社会・文化面
わが国の対人恐怖症研究の背景には明治時代以来の
「恥の文化」がある.また「西洋に追いつけ,追い越せ」
の競争の世代であった.恥というよりは「羞恥」と言っ
たほうがよいという.それらのことが現代は少し変わっ
てきたか,たとえば電車のなかで若い女性が平気で化粧
をしている.これは日本社会に恥の文化が薄れてきたこ
との一つの表れではないだろうか.すると,自省的な羞
恥も生じにくく,患者さんとしてはあまりわれわれのも
とに来なくなるかもしれない.
それから「メール文化」「携帯電話文化」は,Eye-to-
Eye Confrontationを必要としない文化であり,そこで
は対人恐怖症はどうなるだろうか.恐怖症は減るのか,
あるいはもっと深刻なタイプに変わるのか,見ていきた
い.DSMはこういうことを関係づけるのを嫌う.しか
し,文化と関係のある症状では避けられないと考えている.
◆おわりに
公式に,ということは公衆衛生学概念として,SAD
の病名を使うことに異論はないが,わが国の臨床場面で
はSADを「対人恐怖症」と言い換えることを許したほ
うがよくないか.このほうが日本人相互では直観的に通
じやすいし,文献も検索しやすく,精神療法の改良にも
役立つと思うからである.
SADはまだ未熟な概念に思えて仕方がない.1980年
以前の米国ではほとんど知られず,2000年に入るや,
今度は米国のみならず中国でも驚くほど多数存在するこ
とがわかった,という疫学的主張は,臨床家にはいかに
も不思議に思える.臨床の現場と違いすぎないか.本当
に治療を要するケースをとらえているのか.さらに研究
の進むことを切望する.
文献
1)笠原嘉:人みしりについて.新・精神科医のノート,み
すず書房,東京,1997,pp.I-22
2)森田正馬:神経質の本態と療法,白揚社,東京,1975
3)森田正馬:森田正馬全集,白揚社,東京,1974
4)山村道雄:赤面恐怖の精神分析的研究,東北帝大精神病
学教室業報,1933,p.2,69
5)Kretscbmer E:敏感関係妄想第3版,SpringerBerlin,
1950(切替辰哉訳.文光堂,東京,1961)
6)足立博,間島竹次郎,小河原竜太郎:「私は嫌な匂いを
発散させている」という患者について,順天堂医誌7:
901,1961
7)Hoch PH,Pollatin P:Pseudoneurotic forms of
schizophrenia..1949
8)植元行男,村上靖彦,藤田早苗ほか:思春期における異
常な確信的体験についてその1いわゆる思春期妄想
症について,児童精神医学と近接領域8:155,1967
9)笠原嘉,藤縄昭,松本雅彦ほか:正視恐怖・体臭恐怖
一主として精神分裂病との境界例について,医学書院,
東京,1972(笠原嘉:精神病と神経症第二巻,みすず書
房,東京,1984,pp.697-827に再録)
10)KasaharaY:Fear of Eye-to-Eyeconfrontation
among neurotic patients in Japan.ln:University of Hawaii Press,1974
11)山下格:対人恐怖,金原出版,東京,1977
12)山下格:社会恐怖-東と西.精神神経学雑誌104:735-
740,2002
13)笠原嘉,村上靖彦:再び境界例について.分裂病の精神
病理3,東京大学出版会.東京,1975
14)笠原嘉,藤田定,村上靖彦:日本の社会恐怖症{1990
の143th APAでの講演の邦訳}.笠原嘉:外来精神医
学から,みすず書房,東京,1991,pp.128-143
15)KasaharaY:Sodal phobia in Japan.,1987
16)Clarit SR,Schneier R,Liebowitz MR:The offensive
subtype of Taijin-kyoufu-shou in NewYorkCity.1996
17)lwase M,Nakao K,Takaish:An empirical
classification of social anxiety:Performance,jnterpersonal and offensjve,2000
18)永田利彦,宮脇大,大嶋淳ほか:治験広告によって来院
した社会不安障害.精神医学54:709-714.2003