愛は「ひとつで変わらないもの」であることの論証・脳の学習臨界期理 2008-05-28

愛は「ひとつで変わらないもの」であることの論証・脳の学習臨界期理

愛は「ひとつで変わらないもの」であることの論証・脳の学習臨界期理論

愛は一度限りであることの論証。
愛は一度限りの強い学習であることをデッサンの形で述べる。

人間の脳は環境条件に応じて適応できるように、不完全さを残して、生まれてくる。

たとえば爬虫類は、脳の構造が固定されていて、出生後の学習も限られているので、適応の範囲は狭い。適応は主にDNA選択により達成される。

哺乳類になるとたとえば出生直後の「すり込み」が見られる。出生直後に自分の近くにいる動くものを自分の母親と見なし、行動のモデルとする現象である。ここでは「母親役」が入れ替わることによって、適応の幅が広がる。DNAによって固定されていない。このように脳には未確定部分があり、環境条件による確定を待っている。
脳の未確定部分が大きいほど適応能力は高くなる。その反面、「学習障害」も発生しやすくなる。つまりある種の精神障害である。間違った学習と言ってよい。
例を挙げると、パニック障害で見られる電車恐怖は、電車という状況と恐怖信号が間違って結びつけられた学習である。またたとえば、強迫性障害で見られる確認行為も、間違った学習と考えられる。
これらが障害と考えられるのは、訂正が難しいからである。つまりは強い学習であるといえる。

この種の強い学習には様々なものがあるが、食事に関するもの、言語に関するもの、性に関するものなどが代表的である。食事については生後直後ないし一年程度から学習が開始される。言語についての脳の学習臨界期については種々の報告があるが、おおむね小学低学年である。性に関する学習については当然ながら第二次性徴の時期に開始される。

哺乳類の求愛行動全般を見るとかなり多様である。同じ種でも環境条件によって行動パターンが異なる例もあるらしい。
人間に限ってみても、求愛行動は各国種族により異なり、たとえば中国秘境の種族に関する婚姻習慣についての研究など、興味深いものがある。
求愛行動について、例外的習慣を興味本位で取り上げて拡大解釈する場合もあると思われる。

しかしながら、原則を言えば、第二次性徴期に、性ホルモンの影響で性行動に関しての脳の強い学習期が始まる。その時期の強い学習を「初恋」と定義してもよい。一度学習されたパターンは固定されて、その後の性行動を支配する。
従って、その人における愛はその時期に決定・固定される。その後に起こることは、その形式の反復であり、数式における代入に等しい。

この意味で、愛はひとつだけなのである。
何回も恋愛するように思っているとすれば、それは恋愛対象が複数になる不幸な例である。
恋愛対象は複数で変動的でも、その行動パターンを分析すれば、「常に複数で常に変動的である」という、「ひとつの変わらない」パターンが見えてくる。

ひとつには、パートナーが死亡するなど、不可抗力の場合がある。そのばあいには仕方がないしいつも相手を取り替えているわけではない。
詩人八木重吉の妻、登美子夫人が、歌人吉野秀雄の妻となった例。

他のひとつには、ただ一度の学習において、浮動性の恋愛を学習してしまった可能性がある。
恋愛対象を常に複数とする傾向や、恋愛対象を常に入れ替え続ける傾向と、愛の初期学習が結合してしまった場合は、不安性障害などの場合と同じく、愛の恒常性の障害と言える。

このように考えれば、やはり、愛はひとつだけである。愛は「ひとつで、変わらないもの」である。

言い換えれば、愛の対象はひとつとは限らないが、愛のパターンはひとつだけである。そして愛の対象が複数の場合は、不可抗力の場合もあり、愛の恒常性障害の場合もある、ということになる。

例外をあげれば、愛に関しての脳の強い学習臨界期が、複数回訪れる場合が考えられる。腫瘍の一部では、過剰な性ホルモンを産生する場合がある。その場合には、脳は第二次性徴期と同等な条件となり、愛についての強い学習が起こるだろう。
しかしこのようなことは当然、きわめて例外的である。
言語学習についてもきわめて例外的に多言語を器用に操るに至る例がある。その場合も、ある言語について完全に欠損なく運用できる場合は限られているように思う。個人的な体験では、ひとつの言語の習熟は、もう一つの言語の完全性の水準を低下させるようである。

Last updated May 28, 2006 11:13:16 PM

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