著明な食欲の増加と過食 2008-6-24
過食があって、嘔吐していたりして、
日中は憂鬱なことがあって、
適応不全の人がいたら、
DSM診断としてはまず大うつ病エピソード・非定型の項目に行って、
著明な食欲の増加、
過眠、
鉛みたいに手足が重い、
対人関係で拒絶に敏感、
気分の反応性などの諸項目をチェックすることになる。
「著明な食欲の増加」と「過食」は同じではないだろうと思うが、
ほぼ似ている。
嘔吐の有無はそのあとの問題のようだ。
10代の若年発症も多い。
というわけで、若い女性で過食がある人は
自責が少ない、
日内変動が少ない、
恐怖症が多く、ヒステリー性の転換症状が多い、
などを参考にし、ADDS :Atypical Depression Diagnostic Scale
などをもちいて診断作業をする。
衝動制御の観点から診断する立場もある。
リストカットなどの衝動行為が付随することもある。
非定型うつ病と診断するか、
双極性Ⅰ、Ⅱなどとするか、性格障害ととらえるか、
着眼点によって多少強調点が異なる。
Panic、GAD、SADの要素が強い場合もあり、
適応障害というべき場合もあり、急性ストレス反応とかPTSDと言うべき場合もある。
もちろん、神経性大食症と言うべき場合もある。
過食を反応行動または対処行動ととらえることも出来る。
治療としては従来型の抗うつ剤やSSRI、SNRIが有効であることがあり、
効果を確認してみるのが良いといわれている。
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原発性の過食としては神経性大食症があるのだが
過食の背景に何があるのかを考えれば、
様々な要素があげられる。
特にここ数十年の間の疾病観や治療観の変遷もあり、
特に薬物療法の進歩があり、
初発統合失調症、パーソナリティ障害、PTSD、双極Ⅱ型、脳脆弱性、各種薬剤後遺症など、
時代の流行にも影響されていると感じる。
治療者も影響されているが、多分、相談者自身も影響されていて、
事態は複雑である。
民間薬を含めての各種薬剤の影響は思ったより大きいかもしれない。
「やせ薬」の影響は、
向精神薬から甲状腺末まで、いろいろと想定され、
中には持続的影響が考慮されるべきものもあるかもしれない。
食欲は本来自律神経に属するものであるとの意見もあり、
意志でコントロールするべきものかどうかは考えるべきだろう。
しかし現在は食欲をコントロールして他の女性よりもやせることが
どの女性にとっても課題となっているようで、
ストレスに対しての対処として食欲コントロールがあると考えられる例が多いが、
一面では、食欲コントロール自体が過剰なストレスとなっている場合もある。
多くは、まず太りすぎだと自覚して、ダイエットをはじめ、
そのリバウンドとして過食になり、そのまま習慣化して嘔吐を伴うようになり、
それに伴って適応不全となる。
何が最初の不全かわからなくなっている例もある。
適応としては良い場合もあり、これが昔から言われている中核的拒食症の特徴でもある。
日本人女性がやせすぎであることは
多分白人女性や黒人女性と比較してみれば明らかなのだろう。
アメリカ人はおおむね太っているし、
あの骨格に脂肪がつけば相当な体重になるはずで、実際にそのような体重である。
アジアの人たちはおおむね食糧不足のせいでやせているだけで、
日本のように、法事のたびに羊羹をもらい、
デパートではロールケーキの特売が行なわれる状況では、
当然太るものと思われる。
日本全体のカロリー消費量から推定して、
太らない方が無理というものだ。
一方、JISの規格では女性の洋服のサイズで、
ウェストがまた縮んだ。
昔のように農作業をしていれば、カロリーを消費するが、
最近のように頭脳労働をして、合間にWiiやジムで汗を流している程度だと、
普通の消化吸収機能を維持している限り、
太るだろう。
特に高校生や大学生は一日の大部分を頭脳労働している。
OLさんも、筋肉労働をしている場合には、男性にかなわない構造になっていて、
頭脳労働をしている優秀な女性ほど、
太り易い理屈になる。
脳の食欲中枢は満腹中枢と空腹中枢があり、不安の中枢と位置が近いといわれている。
不安が高まったとき、何か食べて血糖をあがり、胃が拡張すると、
満腹中枢が刺激され、不安は緩和される。
不安になった時に食べないで走りなさいと指導したとすれば、
かなり疲れる結果になり、
数カ月後の経過が良いかどうかは分からない。
いつでも走れるわけでもない。
シャワーを浴びるとか、
時計の秒針に合わせて数を数えるとか、
0からはじめて、次々に7を足して1000までいくとか、
別の対処行動は考えられる。
成功するかどうかは分からない。
皿を洗うのも好きだ。
草むしりをするのも一心不乱になれていい。
自然状態での脳のセッティングは、
現在のようにどこでもコンビニが近くにある状態では、
ほぼ全員太るだろう。
それを太らないでいると言う方が無理に近いが、
だからこそやせていることは価値がある。
希少性に価値があるのだが、
あまりに希少だと誰もが諦める。
ほどほどに希少だからチャレンジしたくなる。
やせることはちょうどいいチャレンジである。
確率理論を知っていても、宝くじを買うのが人間というものだ。
雑誌などでダイエットの広告が多い。
実際に試している人も多い。
これは影響が大きいと思う。
脂肪の具合は目で見てすぐに分かるから
なおさら悩ましい。
やせすぎモデルを規制しようという運動があった。
男性が女性の体重にこだわっていないことは分かっている。
女性が女性同士で体重を比較しあっているのだろうといわれている。
健康を競っているのではなく、
ある意味での不健康を競っている。
体重を増やさないために喫煙するのだという人までいる。
体型についてのイメージがそもそも妄想の部類に属しているとは
昔から指摘されるところだ。
太っていないのに「自分は太っている、もっととやせたい」といつも望んでいる。
妄想を消す薬が有効な場合もあり、無効な場合もある。
健康である限り、食べ続ける。
カロリー消費して吐いて、それでやっとつりあう。
たいていは自分の食欲に負ける。
しかしそのセッティングは先祖代々受け継がれているもので、
人類の歴史としてはちょうどいいセッティングだった。
現代のように合成保存料ができて冷凍もできて流通が発達した状態になると
食欲のセッティングがちょっと合わなくなっている。
中には胃下垂とか、もともと消化機能の弱い人もいる。
慢性の下痢など。
その場合には自然にカロリー拒否しているわけで、あまり太らない。
健康とはいえない状態でやせている。
月経が不順になっている人も多い。
これは適応障害ともいえるが、脳下垂体系の不全を思わせる一面でもある。
また、脳下垂体系をコントロールしたらいいだろうとの発想にも結びつく。
あまりうまくは行かないようだ。
自分に対する過剰なコントロールは指摘されている。
過剰なコントロールがあってはじめて、節食は維持される。
深夜など意志のコントロールがゆるくなった時に食べすぎる。
食べすぎた直後に後悔することもあり、
朝になって激しく後悔することもある。
習慣化すればその場で吐く。
吐いた後で泣く場合もあり、
吐くことに快感を覚える場合もある。
快感中枢が食欲中枢や性中枢と結合するよりも、
吐くことの快感に結合してしまっているようで、
ドーパミンを中心とする快感回路は強力に誘惑し続ける。
抗うつ剤は
うつを治して過食を止める場合があり、
吐き気を誘発して過食をしなくなることもあり、
躁状態を起こして過食がやむときもあり、
Activatingでかえって食欲がなくなる場合もあり、
効いていると言うべきか、副作用と言うべきか、判断を要する場合もある。
また、プラセボー効果としか考えられないような
時間経過の場合もある。
パーソナリティ障害の場合でも抗うつ剤が効く場合があり、
その事を理由に診断を変更することもある。
強迫性成分が強い場合がある。
また、躁成分が強い場合がある。
躁うつ混合状態とみるべき場合もある。
おおむね、過剰なコントロールが働いていれば、食べない。
コントロールが緩んだ時に、食べる。
強迫性成分が強ければ、おおむね、食べない。
コントロールが効いている。
緩めば、食べる。
食べる強迫は存在はすると思うが、
診察したことはない。
多分下痢をしてしまうのだろう。
一食に4キロも食べる芸人がいるとのことだが、
下痢をしない限り、存在が難しいのではないかと推定される。
一般に、うつの時には食欲がなくなり、躁の時には食欲が亢進する。
これと逆になるから、非定型うつ病や季節性うつ病として分類がある。
また、一般に、うつのときには、自分に対するコントロールが弱くなり、躁のときには自分に対するコントロールが強くなる。だから、うつの時には食べてしまうが、躁の時には食べないで我慢していられる。理想に向けて邁進できる。
この二つの間で引き裂かれている。
バランスは人により違うので、
うつの時に過食のこともあり、うつの時に拒食のこともある。
躁の時に過食のこともあり、躁の時に拒食のこともある。
この点は、うつと躁だけでは解釈できなくて、もう少し細かい観察が必要になる。
冬眠をする熊さんならば
冬眠前に丸々と太るけれど、
冬眠から覚めれば少しはやせているはずだ。
家事がつらくて入院する主婦も
入院中にはやせる。
病院食はカロリーが低いし、
早く寝て早く起きるからだ。
ほとんど運動をしないが、やせる。
冬眠に近い状態で太った人はそのあとやせる時期を過ごさない。
相変わらず食べて眠って太って後悔して自分を無価値な存在だと嘆く。
食べるときは、明日に向けて、将来に向けて、元気を蓄えようという場合がある。
たとえば、ヘルペスが出て「自分は弱っている」と感じるとき、
食べることで何かを補給しようとする。
またたとえば、性的能力が減退しているとき、
何か精のつくものを食べることで、補おうとする。
明日から徹夜が続くというとき、
何か食べておこうかという気になる人もいるだろう。
うなぎの産地偽装が報道されているが、
うなぎの蒲焼がそれほど特別においしいとも思わない。
しょっぱいだけなので、蒲焼ならさんまでもほぼ似たようなものだし、
アナゴでもいい。
いいうなぎは特別なのかもしれないが
産地偽装で売れるくらいだから
誰も味はわかっていないらしい。
それでも売れるのはうなぎで元気をつけるという一種の信仰があるからだと思う。
こうした観点から言えば
食行動は信仰や価値観を反映するもので
単に血糖値や胃の拡張や食欲中枢の動向だけで決められるものではない。
食べることは
食べられるものの属性を自分の中に取り込む感覚を含んでいる。
野蛮なものを野蛮に食べれば自分が野蛮になれるのではないかと思ったりする。
ファンタジー成分を読解するなら、
食行動は何かの記号である。
意味されるもの、意味内容があるはずである。
完全読解はまだできていない。
昔の話で、
お見合いの話が「飲み込めなくて」
実際に極度の食欲亜不振になってしまうなどの例がある。
この方向の解釈はもっと試みられてもいいのかもしれない。
あるいはかなり逆方向で時代遅れのものなのかもしれない。
しかし読解を待っているような気もしないではない。
昔のこのような例は、人間の「読解する欲望」の発露に過ぎないかもしれない。
しかし読解する側もされる側も読解への欲望を持っているなら
それはいいことかもしれない。
衝動性で言えば、
食べることは一面で自己補強であるが、
一面では自己破壊である。
これまでの節食の努力を台無しにしてしまう。
それが快感に感じられる。
そこに自殺の欲望や自己破壊の欲望、
タナトスの原理が見られる。
食べることは性行動と繁殖につながりエロスの原理にもかなうし、
一方で破壊と滅亡と死につながるタナトスの原理にも通じていて、
どちらも満足させるのだから、
食べものがあれば、ある日突然食べてしまうのだろう。
食べることが生きることにも死ぬことにもつながっているので
なかなかややこしい。
食品業者は必死になって食欲をそそるものを開発している。
コンビニは売れ筋のものを必死で棚に補充している。
やせている人がいるということは、
コンビニ業界はまだ売り上げを上げる余地があるということなのかもしれない。
やせていることを持続することはそのくらい絶望的なことである。