施設による病像と経過の違い 2008-7-1
病像と経過は
病院とクリニックで違うということは
実感として言えるのだが、
病院同士やクリニック同士でも、かなり違うように最近は思う。
だとすれば、病気とは何か、治療とは何か、ますます複雑である。
施設によって違うのは、
ひとつは治療者が違うからである。
経験や人格や考え方の違い。
あるいはその日の偶然に起因する違い。
極端に言えば、医者一人について、ひとつずつ診断学と治療学があっても
おかしくないほどである。
基本医学についてはそのような違いは起こりようがない。
しかし高度に応用的で、アートに近い部分のことについては、そのような違いが起こる。
患者さんの症状や性格、生育歴の違いの他に、
治療者の違いのファクターを入れれば、
精密に記述できるのかもしれない。
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一般化して言えば、体験を共有するということはどういうことかということになる。
エビデンスという場合、
薬を処方した医師がどんな人格であるかまでは考慮していないと思うが、
それが大きな治療要因かもしれないのだ。
それをむししたエビデンスなど信用できるものではない。
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単純にいえば、
どこの料理屋の何がうまいとか、そんな話とも似ている。
その日の体調や、日ごろの嗜好や、最近食べたものや、天気や、前日に見た映画や、
そんなものが複合して、その日のおいしさを決定しているのであって、
おいしさが食べる人と切り離されて存在しているわけではない。