心の病と戦う 2008-6-27
社会人にストレスはつきものだ。中でも、「きつい」「厳しい」「帰れない」の3K職場とも言われるIT業界の技術者たちは、過度のストレスを抱えているに違いない。
多くの人は、ストレスコントロールの方法を自然と見出し、気分転換しながら日々業務を続けている。しかし、中にはどうしてもストレス解消の機会がないまま負のエネルギーが積み重なることや、さまざまな原因から体調、そして心の調子を崩してしまう者もいる。
心の病は、誰もがかかり得る病気だ。長期的な治療が必要な場合もあるため、何らかの対策を考える企業も多くなった。この特集では、体験談や専門家の意見を元に、心の病について考えてみたい。
23歳にして5社を渡り歩く 静岡県出身の荒木さん(仮名)は23歳。高校入学後から吐き気や下痢などに悩まされる日々を過ごしていたが、内科に通っても異常はなく、大学進学を機に上京した。
荒木さんが最初にうつ病と診断されたのは2004年夏のことだ。当時荒木さんは、大学のプロジェクトで毎日夜を明かして開発に取り組んでいた。厳しい環境の中、開発が思うように進まず、周りから責められることもあった。
精神的に追いつめられたと感じた荒木さんは、落ち込んだ気分から抜け出せないのみならず、食欲不振や激しい下痢、不眠に陥った。過去にもこうした体験はあったというが、「症状がこれまで以上にひどかったので、心療内科に行った。そこでうつ病と診断された」と、荒木さんは当時を振り返る。
その後、投薬とカウンセリングを続けつつ、2005年よりIT企業でのインターンシップや契約社員として開発の仕事に取り組んでいた荒木さん。契約切れのケースもあるが、長くても約半年で職を転々とし、23歳という若さにもかかわらず5社での仕事経験を持つ。しかし、「やはり仕事上追い込まれたり、対人トラブルが起こったりするとうつ状態になる」と荒木さんは言う。
その後も荒木さんの病状が改善するきざしはなく、2007年4月に契約社員として入社した企業は2カ月で解雇されてしまう。現在では抗うつ剤などを成人投与量の限度に近いほど多く飲みつつ、在宅での仕事を続けているという。
完治しないまま前に進み、退社へ 同じく23歳の原田さん(仮名)は北海道出身だ。うつ状態と躁状態が繰り返し巡ってくる「双極性障害」に悩まされている。
大学3年終了時の2005年春、原田さんは自分の力を試すべく、大学を休学し、1年間IT企業に勤める決心をする。その企業で原田さんは、1人きりのプロジェクトを任されることとなった。1人きりのため、仕事が思うように進まなくても原田さんは誰も相談する相手がいない。毎日夜遅くまでプロジェクトに取り組み、約2カ月が過ぎた時、原田さんは繰り返し風邪をひくようになる。
長引く風邪が発端となり、精神的にも落ち込んだ原田さんは、いったんプロジェクトを家に持ち帰り自宅作業を続けることにする。しかし、「体調も気分も回復することはなかった。プロジェクトも結局は続けられず、会社には申し訳なかったが体調不良で会社をいったん辞めることにした」と原田さんは話す。
原田さんは、退社後も体調回復には至らなかった。その後、双極性障害との診断を受けた原田さんは、何種類かの薬を処方されるが、副作用ばかりがひどく、病状が改善することはなかった。
2006年には大学に復学したものの、卒業研究中にも何度か病状がひどくなり、研究ができないことも多かったと原田さんは言う。しかし、過去には真面目に勉強に取り組んでいたことが幸いし、成績トップで卒業を果たした。原田さんは、東京のITベンチャー企業に就職が決まり、2007年4月上京する。
しかし、病気が完治したわけではなかった原田さんが再度その症状に悩まされるまで、時間はかからなかった。5月には再び風邪の連続と気分の落ち込みが続き、6月から休職状態となった。
原田さんは早く仕事に復帰したかった。「小さな企業で、社長も周りの社員も病気に理解を示してくれた」と原田さんは述べ、会社に全く問題はなかったとしている。休職中は、「ヨガや座禅でなるべく何も考えない状態を作る」「勉強しすぎない」など、安定した状態を保持するための自分なりのルールも見い出した。その結果、2カ月の休職後に無事復職を果たした。
張り切って復職した原田さんだったが、仕事に集中しすぎたためか、復職3日後に急激な頭痛に襲われる。その際、社長から「病気が完治した際には戻ってきてほしい」という言葉はもらったものの、最終的には退職を勧められ、原田さんはやむなく退社する。
長期間うつ病と戦ったが…… 前出の2人より長期間に渡って仕事復帰を目指していたのは、新潟県出身で30歳の中井さん(仮名)だ。
2000年に大学を卒業した中井さんは、大手システムインテグレーターに就職した。開発現場で技術者の能力を発揮したいと考えていた中井さんだが、配属されたのは上流工程を担当する「IT戦略室」という部署だった。その部署では、新人の中井さんにほとんど仕事が与えられず、出勤してもすることがないという日々が続いた。入社1年後の2001年5月、不眠状態となった中井さんは心療内科に行き、軽いうつ病と診断される。
この時点でちゃんとした抗うつ治療を行わなかったことを悔やむ中井さんだが、「当時は軽い安定剤を飲みながら業務を続けた」と中井さん。仕事内容は社内システム関連の雑用が中心だ。最先端の現場で技術者としてばりばり働きたいと考えていた中井さんは、部署の異動を希望したが、それも叶うことはなかった。
仕事に満足感を得られないまま、うつ状態で業務を続けていた中井さんは2004年11月、仕事以外でも大きな心のダメージを受ける。地元の新潟県で中越地震が発生したのだ。親族の被災などもあり、極度の不眠に陥った中井さんは、会社のカウンセラーと面談、即日休職が決定する。心療内科では重度のうつ病と診断され、抗うつ剤で薬漬けの日々を送ることになる。
投薬治療で1年8カ月の休職期間が過ぎ、2006年7月中井さんは仕事に復帰する。新たな部署に配属され、まずは短時間勤務から開始、数カ月後には残業なしのフルタイム勤務へと移行する。しかし、同時に急性胃腸炎になり、中井さんはほぼ1カ月間仕事ができない状況となった。結果、その部署でも事実上居場所がないと言い渡された中井さんは、以前に取得していた資格を必要とするシステムインテグレーターに常駐勤務することとなる。
「上司にはこれがラストチャンスだと言われ、常駐先にもメンタル面に問題があることは伝えられないままだった」と中井さん。プレッシャーと戦いつつ、がんばってみたものの、中井さんの体調は急性胃腸炎以来すぐれず、精神的な不安定さも手伝って、2007年2月にカウンセラーと相談の上、退職という道を選ぶこととなった。
決して人ごとではない ここに登場した3名は、みな高い志を持ってIT業界に飛び込んだ熱心な技術者で、心に病を抱えていなければ今でも日々熱心に仕事に打ち込んでいたに違いない。しかし、対人関係がきっかけでメンタルな問題に発展してしまう人もいれば、仕事内容や体調、その他の要因が組み合わさってうつ病となる人もいる。
「仕事がきつかった」「長時間勤務が耐えられなかった」というのが3Kと呼ばれるIT業界でうつに陥る典型的な理由なのではないかと、漠然と考えていた筆者にとって、この3人との出会いは衝撃的だった。少なくともこの3人は、仕事の厳しさや長時間勤務が原因で発病したわけではないからだ。「もちろんそうした理由でうつに陥った仲間も多く見てきた」と、比較的社会人経験の長い中井さんは述べているが、今回話しを聞いた3人はむしろ、皆勉強熱心で、IT業界での仕事も技術者でいることも自分の意志で選択し、今後もそうありたいと願っている。最新技術に興味を持っており、できれば最先端の現場で働きたいと考えているのだ。
何がきっかけとなって発病するかは人それぞれだ。自分でも原因がわからないままの人もいる。しかし、こうした心の病は人ごとではない。前向きに仕事に打ち込む人でさえ、ふとしたきっかけで病に陥ってしまうこともある。