ネット社会とこころの悩みとDAM理論 2009-5-22

ネット社会とこころの悩みとDAM理論 2009-5-22

「こころの科学」2009年3月号掲載分です

ネット社会についての話は分かりやすいと思いますが、

自己愛性格の話と

うつ病の一般論についての部分はわかりにくいと思います

ちょっと詰め込みすぎたと思いますが

気分としては「解凍しつつ」読んでいただけたらと思います。

やや解きほぐしたものは

301 Moved Permanently

ここにあります

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ネット社会とこころの悩みとDAM理論

 現代日本に生きる我々にとって、インターネットや携帯は心理的環境の重要な一部であり、こころの悩みの原因のひとつとなっている。実証的な記述ではないのが残念ではあるが、以下に要点を記したい。

Ⅰ ネット社会の特質

 ネットや携帯が社会不安を拡大していると議論され、ネットと携帯は現代的「悪のゆりかご」の印象がある。特質を次のように抽出できる。

A 匿名性

 匿名だから卑劣なことを書くのだと思われているが、実は匿名性はすでに見かけ上のものである。自分のことを書かれた個人にとっては、誰が書いたのかを知ることは心理的ショックの直後でもあり億劫であるが、気持ちを立て直して「プロバイダ責任制限法」により削除を請求し、情報開示を求めればよい。ネット上に請求の書式があり費用はかからない。

 発信側について言えば、現実のその人からは考えられないくらいの過激な言葉を書いていて驚かされる場合もある。以前は自動車を運転するときに突然普段の人格からは考えられないような攻撃性を見せる人がいて話題になったこともあるが、ネット上でも、現実人格とネット人格に段差があるのではないかと思わせられる例もある。受信側について言えば、韓国での事件のように自分について書かれた言葉に絶望して、命を絶つ場合もある。ネット被害から自分を守る方法を学び、周囲は心理的支えになりたいものだと思う。

B 孤独

 鳴らない携帯は孤独を突きつける。そばに話せる人がいないから携帯に閉じこもり、書いてはいけないことを書いてしまうものだ。一般にメールやネットでは表現が極端で断定的になる傾向があり、ときに過剰に他罰的となり他人を傷つける。また逆に他人からの言葉が配慮のないものに思えて深く傷つくことがある。内容が少しきついかもしれないと思うメールを発信する場合には一晩くらい待ってみた方がよい。家族や友人とのリアルな交流の中で相談するのがよい。

C ひきこもり

 不登校の生徒がたいてい時間を割いているものは、ゲーム、ネット、携帯である。これには次の二つのタイプがあり対処が異なる。

1.もともと対人関係の不全があり、学校に行きにくくなり、ネット社会に慰めを見いだした場合。このときは親が携帯とコンピュータを取り上げるとますます追い込んでしまうといわれる。

2.もともと対人不全はなく、ゲームにはまり込んで不登校になった場合。これはゲームとコンピュータを親が管理することで解決することがある。

 ひきこもりはパニック障害や被害妄想の結果であることもあるが、強迫性傾向と結びついていることもある。現実世界の複雑さに反してコンピュータの世界は合理的で予測可能で単純である側面があり、ひきこもっていれば不確実な現実から自分を守ることができる。その中では空想的万能感や呪術的思考が保存される。

D 陰湿ないじめ・性的暴力的情報・犯罪への入り口・仲間

 たとえば違法薬物の入手方法が分かるし使用マニュアルも手に入る。援助交際への入り口にもなる。ネットは犯罪へのハードルを低くしている。いじめの温床にもなっている。現実の生活では知り合うことのできないような、珍しいタイプの人と知り合うことができる。

E 子どもの養育に関する悪影響とゲーム依存・ネット依存

 小児科医の指摘によれば、まずテレビやビデオに育児をさせていることが問題である。これでは感情応答性がうまく育たない。小学生頃からはゲームに熱中することになり、これには親も手を焼いている。典型的には夜更かし・朝寝坊、朝食抜き、遅刻、忘れもの、保健室登校、不登校になる。そして本格的に一日中ロールプレイイング・オンラインゲームに向かう。このタイプのゲームは終わりもなく続き、チャットの要素も入っているので完全な孤独でもない。時々は主催者側のイベントが入り退屈しない。他の参加者と共同の行動をとることがあり、そこにはオンラインゲームなりの人間関係ができる。これは現実の人間関係よりも薄く一面的なもので人間関係の練習にはならないと言われるが、一方で現実の人間関係で行き詰まった人にはすこしほっとできる場所であるとも言われる。

 ネット中毒やゲーム中毒さらにはゲーム脳といわれることもある。ゲームに熱中しているときの脳の働きを調べると、脳のきわめて一部分しか使っていないようである。映像処理部分だけが活発になっていて、前頭葉の人間らしい思考は停止していることが分かる。ゲームに時間をとられるので、共感性や社会性を発達させる機会が失われる。

 小さな子どもの場合に、ゲームをしている間、親がそばで一緒に画面を見て、親自身が感情応答をして見せること、また子どもが画面に反応したらそれに対して親が感情反応するというようにすれば多少はゲームの害を改善し、共感性を養うことができるかもしれない。

F リアルとバーチャルの区別

 事件の関係者についてリアル(本物)とバーチャル(仮想)の区別がはっきりしていないとする議論がある。ゲームの世界に慣れてしまい、現実を歪めて把握しているのではないかとする。そのことを正確に診断するのは精神病理学の領域になるがマスコミではしばしばいわれることである。

 しかし発達途中の子どもの場合には現実と仮想の適切な混同は健康な現象であり、アンパンマンになりきって遊んでいるのもよく見られる光景である。大人になっても、両者の区別を適切な場面で適切にできていればそれで良いわけで、場面によってはほどよく人格退行して、区別を曖昧にして安らぐことも大切なことである。犯罪に関係して取り調べを受けるときは拘禁反応を起こして両者の区別ができなくなる場合がある。

G 極端さ

 農村非匿名集団から都市匿名集団に移り、さらにネット社会になって人々の欲望も表現も一段と激しくなった。度胸を試すようなことになりやすく、一部は犯罪や自殺と関係する。

H 垂直的ヒエラルキーとネット的水平

 人間の集団構成の原理は原始的には垂直的ヒエラルキー型である。一方、ネット社会は原則的に水平的平等の原理である。このずれから生じる違和感はヒステリックな言葉や非常識な行動、さらには思考の極端さや単純さにつながる。ヒエラルキー的な軍隊において中枢部が核攻撃を受けて破壊された場合の組織と情報の保護のために開発されたネットの歴史を見れば、ネット社会とヒエラルキー社会との原理の違いが必要だったことが分かる。しかし原理が違うので不都合も生じる。検索会社の提供する検索システムはヒエラルキー的で資金力のある者の優位を保障しており、水平的ではないのが興味深い。一般人の良い意見にはたどり着けないのが現状である。

I 同質性

 たとえば将棋では、情報を手に入れやすくなっているので誰でも勉強できる。しかしみんな同じことを勉強してきたので強さも作戦も弱点も同じ。情報ハイウェイを降りた場所からが難しいといわれる。同質性集団特有の集団心理にとらわれやすい。

Ⅱ ネット社会と自己愛

 ネット社会では性格の中に自己愛成分を多く含んだ人が増える印象があるとの報告が数多くある。まず自己愛の特徴から見ていこう。

A 自己愛性格の特徴とネット社会が性格の自己愛成分を増やす理由

 すぐに感情を荒げてとげとげしい言葉を投げつけ、自分の衝動や欲求や不安を抑制することができず、相手が傷ついても構わず平気で強引にわがままを押し通す。相手を傷つけることが快感でもあるようす。教育と訓練が欠如した未熟で幼稚な性格。このような自己愛性格の特徴は「傲慢、賞賛欲求、共感不全」かつ「臆病」とまとめられる。中島敦「山月記」でよく表現されている。「少年は大人ではなく大きな少年になった」「僕は僕のすべて」「自分王国の自分様」などと言われる。社会的には無力であるが、そのことを自分の欠点と認識しない。「お互い様」が消えてしまい、「相手の立場に立ってみる」ことが少なくなった。自己愛的な他人に接するとき、自分も自己愛的にならないと傷つけられるだけだから、社会には自己愛成分が増えていく。電車の客席のマナーなどを想像すれば分かりやすいが、自己愛的な態度は周囲の人をも自己愛的にしてしまう。傲慢さの背景に臆病が透けて見えることも指摘されていて、自分の利益を守るためには臆病な人ほど過度に攻撃的にならざるを得ないのだろう。

 ネット・携帯社会だけではなく、少子化、第三次産業へのシフト、大量消費社会、情報化社会などが複合して現代人の心理変化の原因になっていると思われるが、ネット社会に関していえば、現実社会に比較して「簡単・確実・迅速・非共感的」であることが特徴である。現実社会は不確定で、他人の事情に左右され、複雑で遅く、自分の予測した反応が返ってこないし、我慢が必要である。ネット社会のほうが居心地がいいと感じる人がいても無理はない。

  ネット社会に慣れた人は「待たない、確実を求める、我慢ができない、何かあれば他罰的、自己中心的で共感しない」という態度になる。これが自己愛性格を培養する。これは大量消費社会の消費者の態度でもある。対人関係の原型が匿名の客と店員になっていて、他人には傲慢で共感不全であると映ることになってしまう。母と子、店員と客、コンピュータとユーザーの関係で生きていることが、自己愛性格を培養していると考えられる。都市化して匿名性が高まったが、個人情報保護が原則のネット社会ではさらに一歩進んで匿名社会であり、匿名の一時的人間関係が増えれば自己中心的な言動が増えることになる。現実社会では入れ替わりが激しい匿名的なワンルームマンションの管理で自己中心性が問題になっていることも参考になる。

B 幼児的自己愛が保存される理由

  自己愛の中の空想的全能感は幼年期に少子化核家族化の中で養われ、母親という培養器の中で肥大する。そのあと学校集団で自分を相対化して見つめることで、自分の位置を確認し、客観的な自分と主観的な自分を一致させる。傲慢ではなく、社会的に容認される程度のプライドになり、ひそかな自尊心になる。酒の席などで意外な自尊心を打ち明けられて驚くこともある。

 しかし最近では母親という培養器からネットという培養器に直接移植されてしまい、自己愛が幼児的なまま修正を受けずに保存されてしまうようである。ネット社会は母親に代わって自己愛を培養し続ける。学校や会社ではほどほどに周囲に合わせて溶け込んでいるのだが、たとえば心が傷つけられる場面などで自我機能が退行すると、肥大した自己愛が前景に立ち現れる。現在は学校が自己愛保存的な場所となっていて、一方会社はグローバル化もあり保護的な場所ではなく利益を要求される場所となっており、学校と会社の間には段差がある印象である。学校を出て就職すると段差に気付き、不適応が現れる場合もある。

C 自己愛性人格障害

  自己愛の問題が極端になると自己愛性人格障害となる。アメリカの研究・統計用診断基準であるDSM- Ⅳ- TR での自己愛性人格障害の項目が代表的であるが、最近ではこれを細分化する試みもあり、代表的なものは次の自己愛性人格障害のサブタイプである。

1.無自覚型 oblivious narcissism

他者の反応に無頓着。高慢で攻撃的。注目の中心であろうとする。送信者であるが受信者ではない。DSM- Ⅳ- TRの自己愛性人格障害の診断基準はこのグループとほぼ一致する。

2.過剰警戒型 hypervigilant narcissism

他者の反応にひどく敏感。抑制、恥ずかしがり、目立つのを避ける、注目の中心になることを避ける。他者の話に軽蔑や批判の証拠を注意深く探す。容易に傷つけられる感情を持つ。恥と屈辱の感情を起こしやすい。

  これらを寒さと痛さの間で妥協点を見つけるハリネズミの比喩でいうと、1.針が長いので他人を傷つけて騒いで回る。他人の痛みが分からない。従っていつも寒い。2.他人を刺すことはないが他人の針を過剰に痛がる。従っていつも寒い。こうしてみるとネット社会は1.のタイプにぴったりだということが分かる。2.のタイプはつらいので彼らはネットに長居はしないが、何を言われているのか気になるので継続的に警戒して、結局傷つく。無自覚型が一人いればそのまわりに過剰警戒型が何人かいて、困ったなと思い息を潜めている。さらにその外側に、ネットなんかただのネットじゃないかという人たちがいる。

D 幼児的自己愛成分が成熟しない理由

  幼児的自己愛成分が成長して次の段階に進まないのにも理由がある。幼児的自己愛成分は本来、発達の途中で社会的に肯定されるアイデンティティへと進展して解消される。そのときに社会の側が用意している主要な価値観がアイデンティティのガイドラインになる。現代日本ではかつての主要な価値観の場所に自分らしい自分やオンリーワンの自分になるという「自己実現」がある。自分のアイデンティティは本当の自分になることといわれて、その先に進めない。価値観の多様化の中では主要な価値観の消失も当然だともいえるが、アイデンティティ獲得が難しいことも確かである。

Ⅲ ネット社会のうつ病と病前性格とDAM理論

 以下ではこれまで提案されているうつ病の類型と病前性格についてDAM理論としてまとめ、現代では各種病前性格の未熟・自己愛型が増え、それを基盤としたうつ病が増えていることを述べる。

 うつ病について筆者は以前から神経細胞の反応特性の分類からDAM理論を考えてきた。原田誠一先生は講演の中で、うつ病の病前性格について、笠原嘉先生が「熱中性、几帳面、陰性感情の持続、対他配慮」とまとめていることを紹介した(笠原嘉:うつ病の病前性格について.笠原嘉編「躁うつ病の精神病理1」弘文堂,東京,1976 ; 1―29。笠原嘉 『軽症うつ病― 「ゆううつ」の精神病理』講談社現代新書、一九九六年)。この講演に触発されたのであるが、前三者がDAM理論とよく一致するので「熱中性、几帳面、陰性感情の持続」と「対他配慮」の二つに分けて考察の糸口とすれば合理的である。前者は生物学的な指標であり、後者は社会的習慣の問題である。

A 対他配慮の現代的変質

  昔は利他的対他配慮であったものが、いまは自己防衛的利己的他者配慮と見える。他者との関係の仕方そのものに変化が生じていると思われる。利他的対他配慮は報われない可能性を含み、特に相手が自己愛的である場合に大きく傷ついてしまう危険がある。現代ではそのような利他的対他配慮ではなく、自分が傷つかないように、他者との距離をとっておくという防衛的な意味での他者配慮に変化している。簡単に言えば他者中心から自己中心に変化しているのだが、発達から言えば、自己中心のままで成長が停止して他者中心に至らないといえる。これを未熟・自己愛型の増加と表現できる。

  ハリネズミの比喩で言えば、昔は針に刺されて痛くてもいいから、他人を温めたかったし温まりたかった。現在は寒くてもいいので、自分が傷つきたくないし、相手を傷つけたくない。昔は温かい方が大事、現在は針の痛みを避ける方が大事という印象である。一九六八年の連続射殺事件は他人のとげが痛いと悲鳴をあげた事件で、二〇〇八年の秋葉原事件は寒すぎると悲鳴をあげた事件と対比できる。

 対他配慮は社会的成分であるから、社会のあり方と教育の結果であり可変的である。対他配慮が報われなくてエネルギーを使い果たし、結果としてうつになることは過去に多かった。それは社会の支配的な価値観として、対他配慮が主な徳目であり、エネルギーを注入すべき対象であったからである。部下を思いやる責任感の強い上司で30代以降に発症するのがメランコリー親和型うつ病であった。しかし最近は対他配慮の故に疲れ切るということは多くはない。むしろ、他人からの配慮がないから自分はうつになったと怒りと恐怖を伴いつつ20代が語っていて、向きが逆になっている。

B 熱中性、几帳面さ、陰性気分の持続は生物学的指標である:DAM細胞

  一つの神経細胞に対する慢性持続的ストレスを想定して反復刺激を考えてみよう。キンドリング(てんかん)や履歴現象(統合失調症)のように、次第に反応が速く大きくなるタイプの細胞がある。これは躁状態と関係しているのでM細胞(Manic:躁的)とする。熱中性、高揚性、精力性と関連している。

 次に、反復刺激に対して常に一定の反応を返す場合がある。これは強迫性傾向と関係があり、A細胞(Anancastic :強迫症的)と名付ける。几帳面の成分である。

  反復刺激に対して急速に反応が減弱するタイプの細胞があり、うつに関係するので、D細胞(Depressive :うつ的)と名付ける。陰性気分の持続と弱力性に関係している。人間の脳の神経細胞は大半がこのタイプであると考えられる。

C うつの発生メカニズム:DAM理論

 持続反復性ストレスに対してM細胞が次第に大きな反応を返している時期が躁状態であり、M細胞がダウンして機能停止するとD細胞の特性が反映されてうつ状態になる。しばらく時間が経てばM細胞は活動を開始して躁状態になる。これを反復するのが躁うつ病の特徴である。うつ病だけが存在することはなく、微細であってもその直前にはM細胞活動亢進期としての躁病期があると考える。A細胞の強迫性は躁うつ病の各時期で前景に出たり背景に退いたりしつつ見え隠れする。M細胞機能停止しても、A細胞成分が大きければうつ病よりは強迫成分が前景に現れることになる。M細胞がサーカディアンリズムと関係していると考えればM成分の不在により不眠と日内変動を説明できる。

D 病前性格の説明

 M、A、Dの三種の細胞特性がどのくらいの量、脳のどの部分に分布しているかが病前性格の一部を説明する。三種は相互に移行型があり連続している。

1.M細胞成分が多い脳は熱中性が強く双極性・循環性の性質を帯びる。BP(Bipolar mood disorder:双極性気分障害)ⅠやⅡがこのタイプになる。BPⅠは躁状態+うつ状態、BPⅡは軽躁状態+うつ状態である。病前性格が循環気質で躁うつ病になったという場合、このタイプである。未熟型うつ病は未熟かつ自己愛的循環気質の若年発症タイプで人格障害と区別しにくい。また逃避型抑うつはこの類型に近い。

 社会全体が軽躁状態であるとき、BPⅡの軽躁状態は隠蔽されてしまう。明治時代から高度経済成長期に至るまで、BPⅡの場合に診断はむしろ単極性うつ病とされた。戦争に向かう熱狂や会社組織への献身は軽躁状態だったのだろう。適応のよい状態とは実は軽躁状態であることもよくある。

2.M細胞成分よりもA細胞成分が多いものは几帳面で強迫性成分が強くなる。メランコリー親和型うつ病の病前性格としてのメランコリータイプはこの類型である。反復刺激によりA細胞が反応している間は強迫性傾向を呈し、その後疲れきって、機能停止する。そのときにはM細胞も疲労して休止していることが多いので、うつ状態になる。M細胞が早く回復すると躁うつ混合状態になる場合もある。退却神経症はこの類型に近い。

 非定型うつ病の遅発・非慢性タイプはメランコリー型に近く、若年発症・慢性型は病前性格の描写がまだ不十分である。職場がメランコリー親和化して自己愛型未熟型性格に発生するとされるのがBeard 型うつ病である。

3.M細胞成分とA細胞成分が相対的に少ないものは弱力性格になり、熱中性も几帳面も強くない。現代的弱力性格の人たちは、表面的には自分について自信をなくしているのだが、その内面には誇大的自我を持ち続けていることも多く、ときにそれが露出することが観察される。つまり、一方的な弱気ではなく自己愛成分を強く保持していることが多い。これは弱力性と未熟な自己愛の結合となる。これがうつ病となるときは弱力性格型うつ病の未熟・自己愛型と呼べばいいと思うが、DSMのⅠ軸の症状としてはディスチミア(長期に続く軽度の抑うつ傾向)に近くなり、現代的各種うつ病のなかではディスチミア親和型うつ病に近くなる。

4.M細胞成分とA細胞成分が多いものは執着気質で熱中性も几帳面も強い。両者の機能停止と回復の時間的プロフィールによって、躁、うつ、躁うつ混合状態、さらにそれと強迫性傾向の混合が見られる。20歳くらいで発病すると人格障害と見分けにくい。

E 現代的病前性格は共通に未熟・自己愛型のままで発達が止まったタイプになっている

 以上の1-4のどのタイプにも中間移行型がある。そしていずれの場合も(a)昔風の対他配慮は失われていて、自己防衛的利己的対他配慮が働き、言い方を替えれば自己中心から他者中心に移行しないままでとどまっている。(b)個人の中でも自己愛成分が保存され、社会全体としても自己愛成分が保存されている。(c)全体に完成型とならず未熟型にとどまり、発症すると人格の問題と紛らわしい事態になる。

 性格は未熟・自己愛型から次第に成熟・対他配慮型に移行すると考えられ、大人になる頃にはM、A細胞が過剰刺激に対して活動停止するようになっているので、従来は成熟・対他配慮型性格となった大人に成熟・対他配慮型うつ病が発生していた。子どものうつ病については議論があるが、子どもは睡眠が多くストレス課題が少ないことから、また神経細胞の回復が早いことからM細胞の活動停止は起こりにくい。従って常に活動的でうつ病にはなりにくく、ある程度成熟した年代になってはじめて過剰のストレスにさらされ神経細胞の回復が遅くなりうつ病に至る。睡眠障害がうつ病と密接な関係があるのは細胞修復と関係しているからである。

 しかし現代では生活年齢が20歳くらいになるとM、A細胞の活動停止がみられるようになり、一方で性格面は未熟・自己愛型のままでとどまる。ここで現代的なうつ病像が成立し、症状は未熟・自己愛的な性格傾向に彩られる。うつ病が全般的に若年化、軽症化、神経症化、適応障害化、難治化していることも理解できる。

F 自己愛とうつ病

  以前から自己愛とうつ病については密接な関わりが指摘されてきたが、現代的な自己愛では現代的なうつが見られる。「傲慢、賞賛欲求、共感不全」の自己愛型の人が世間を生きていたら、傲慢なので人に嫌われ、期待した賞賛が得られず自分自身は幻滅する。結果として人間不信になる。対人関係で傷つくのでうつにもなりやすく、その場合は従来のタイプとは異なるうつ病になるといわれていて、新しいうつ病のタイプがいくつか提案されている。

  その中の一つのタイプにディスチミア親和型うつ病がある。ディスチミア親和型と名付けられているものの、ディスチミアが病前性格や病気の基盤であるとは言われていないので注意を要する。これは若者に多く、うつそのものは軽症であるが治りにくい。他罰的で逃避的、仕事よりもプライベートが大事。集団との一体化は希薄で、学校時代には不適応はなかったが、会社には不適応という例が多い。やる気が出ないと言い、自分を生かせる職場を希望する。役割に固執せず、むしろ自己実現を価値の中心においている。ディスチミア親和型うつ病の病前性格として、未熟・自己愛型弱力性格を考えれば上記の諸特徴を説明できる。また学校時代に不適応がないのは、現代の学校が自己愛保護的な場所になっているからである。

G 併存症と治療

 併存症(comorbidity)については、躁うつ病については脳の非局在性の病変であり、不安性障害と統合失調症は局在性の病変と考えることができる。M、A細胞の活動亢進と停止が特定の部位で起これば不安性障害や統合失調症との併存になる。不安性障害に関係する局在部位を含んでM細胞の活動亢進と休止が関与すれば一種の過敏性が形成されて躁状態の代わりにパニック病像が形成され、その後にはうつ状態が見られる。パニック障害自体が相性に現れて、消える。A細胞が関与すれば全般性不安障害(GAD:Generalized Anxiety Disorder)に近くなる。統合失調症の場合には局在病変への関わりを考えれば再発に関する履歴現象が特徴であり、これにM、A細胞系が関与している。さらに統合失調症自体が慢性的持続的ストレスとなるため非局在性のM細胞休止に至るので、ポスト・サイコーティック・デプレッションと呼ばれる精神病極期後のうつ状態となる。個別の病型では非定型うつ病で社交恐怖との併存が多いと指摘されている。なお、パーキンソン病で観察されるアパシーはうつ病と異なり「うつを伴わないアパシー」といわれている。行動・認知・情動の動機付けの低下がアパシーであり、興味低下や喜び低下は起こるが憂うつは起こらないと議論されている。以前はドーパミン系とリンクしたうつ状態と考えられていたが、診断学の進歩と考えることができる。

 面接ではDSMのⅠ軸、Ⅱ軸に注意するとともに、以上述べたように、性格の中の熱中性、強迫性、弱力性、対他配慮、自己愛成分、全般的未熟性の6項目について留意すれば診断の助けになる。最近では40代で急に仕事ができなくなったなど認知能力低下や性格変化が起こり、職場や家庭で困難がある例があり、うつ病を疑うとしても、早期に起こる脳器質的変化の可能性を鑑別すべきである。そのとき認知機能と性格の観察が役立つ。

 治療はM細胞とA細胞が回復するまで時間をかけて待つこと、自殺を防ぐこと、再発を防ぐためにメカニズムを教育することである。抗うつ剤のSSRIは長期のダウンレギュレーションによりセロトニンレセプターを減少させることでM、A細胞の一部の活動亢進を抑制する効果がある。またSSRIは不安性障害に関係する局在部位でM、A細胞の活動亢進を抑制することにより不安を抑制できる。

Ⅳ ネットリテラシー教育

 薬物療法、精神療法は省略するが、これらと並んで大切なのがネットリテラシー教育である。これはインターネットや携帯の独特の仕組みと読み書きのマナーを心得ることで、学校でも家庭でも教育を心がけたい。

 発信側として大切なのは、声も表情もなくても誤解が生じないか慎重になることである。言い過ぎは後悔のもとである。誤解する方が悪い場合もあるが、誤解されないように充分注意する責任もある。

 受信者としては情報の極端さとまじめ度を見分けたい。世の中全体の見取図が自分の内側にあれば、情報の極端さを評価できる。それは真偽とも好悪とも関係のないもので、世界の全体の中ではどのくらい極端かという点である。あわせてどのくらいまじめなのか余裕があるのかを見分ける。オウム事件で学んだように、極端でかつまじめだったら、注意して扱う方がよい。情報が断片的であることはネットの短所である。知識や判断の総合的な見取図を形成するためには読書と友人が大切である。

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