not マインド(の)マップ but マインド・カード2007
マインド(の)マップという、発想を促したり、構想をまとめたりする方法があるのだが、
皆さんはどんな印象をお持ちですか?
好きな人は使えばいいけれど、
私には向かない。
以下は個人的な感想。
だって、不自由じゃないですか。
せっかくフリーな発想を促しているのに、一回書いたら、場所が固定してしまう。
関係を線で引いているけれど、所詮は二次元だ。
結局、頭の中の連想を紙に書くことなので、
「飛躍」は生まれにくい。
全然フリーじゃないし、ブレイクスルーがない。
「紙の上に書かれたマップは、
あたかも脳の構造そのもののようだ」
なんて宣伝しているが、
本気で言っているとすれば、
この人たちの脳神経細胞ネットワークは
平面的で単純らしい。
脳科学者もびっくりだ。
マップは一種のノートなのだが、
土台、私はノートをとらない。
手元にあるノートは一冊だけで、
IDとパスワードをメモしてある。
だから、私のまわりの人はこれを見れば、すぐに
パスワードを破ることができる。
でも、パスワードを破っても、
下書きの項目に、
他人にはわけの分からないメモや文章や図があるだけで、
私としては見られても何の損害もない。
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私はマインド・カードだ。
昔でいう、KJ法である。
最近はカードというほど大きくなくて、7.5×7.5センチのポストイットを使う。
もっと細い付箋でも、手近にあるものを使う。
ただのメモ用紙も使う。
詳しい内容はコンピュータに入っているので、
見出しだけでいい。
付箋のいいところは、糊が着いているので、束ねやすいところ。
そしてすぐに離せるところ。
アイディアを細切れに書く。
単語や文章でもいいし、絵でもいい。切り抜きを貼ってもいい。
新聞・雑誌などの大きい切り抜きはたたんで、
ポストイットだからぺたんと貼り付けて、自分の関心に応じた見出しだけ付けておく。
論文の抜き刷りをコピーしてハサミで切って、
必要な部分や図表などもプールしておく。
この部分は、コンピュータで行うことが多い。
手書きの付箋をつくるときは、××の図、だけで分かる。
あるいはフリーハンドで簡略に書いておく。
ついでにいうと、フリーハンドで簡単に書くときに、
本当に必要な部分はどこなのかが、分かる。
省略することで、オリジナルなものになる。
これも収穫。
そんなのをひとつの箱に放り込んでおく。
適当なときに箱を整理して、おおざっぱな分類をする。
二つの領域に入れたいときは、もう一つメモを作って、もう一つの領域にも入れておく。
ここの重複は、厭わない方がいい。
変な箱に紛れ込ませることで、
発想の飛躍が生まれる。
それぞれのまとまりの中で、さらに分類していく。
数が足りなかったら、また考えて、メモが増えるのを待つ。
是非増やしたいと思う領域があったら、箱に見出しを付けて、用意しておく。
以上のことは、コンピュータで付箋を使いながら容易にできる。
コンピュータ上であれば、文章やスライドにまとめるときに、
付箋の内容をそのままコピーして使えるので手間が省ける。
そんな必要もあるので、私の机の上には、24インチのディスプレイが二台並んでいる。
ひとつはソニーのPC附属ディスプレイで、もう一つはナナオ。
普段はメインのナナオだけを使っている。
個人的には付箋を机の上に広げて、束ねたり、ばらしたりするのも好きで、併用している。
何となく、その方が、「熟成」する気がする。
付箋に書いてあるコマーシャルを見たりすると、どの時期のものか、見当がついたりして、
懐かしくなることもある。
もう一つ、飛躍を促すのは、
バラバラのカードの集合を、他人に分類させてみることだ。
興味のあるものを選び出し、分類してもらう。
この人の頭の中はこんなふうだったのか!
と、驚くとともに、
自分の脳の回路にはない、
一種の飛躍が感じられることがあり、面白い。