disturbance of egoについてのtime-delay theoryをsimpleに 2008-5
もっと簡単に言うと、どういうこと?
というので、簡単に。
自我障害、つまり、させられ体験(作為体験 passivity experience)、離人体験、考想化声, その他についての理屈。
脳の一部に、「能動感実感部位」というのを仮定する。
何かしようと思ったことがそこに入力される。
ほぼ同時に、何かしたことが入力される。
その時間差で、能動感とさせられ体験が生じ、
幻聴も発生する、との理論である。
離人体験は、能動的感覚の消失とも言うべきものである。*****
たとえば、パンが食べたい、食べよう、食べる、と思っていて、
そのことが実感部位に入力される。
同時に、実際食べたという情報が入力される。
すると、「意思」の情報の到着が「実行」の到着よりも一瞬早ければ、
能動感になる。
これが普通。
逆になって、「実行」情報が到着して、その後で「意思」情報が到着すると、
当然、させられ体験になる。
*****
たとえば、言葉が思い浮かんだとする。あなたはそのとき、
声で思い浮かべるだろうか。それともモニターに文字が浮かぶように思い浮かべるだろうか。
大半の人は声で思い浮かべるだろうと思う。
すると、浮かんだ声が、「意思」として先に伝わっていれば、
思いついたことだけど、
「実行」として先に伝わっていれば、それは「幻聴」になる。
幻視が少なくて、アルコール症などに限られるのもこういった事情だ。
考想化声についても同じ理屈。
これは「自分の考えたことだと分かっていて、思考の自己所属性は保持されている。しかし声は誰か他人からのものである。」というもので、「声は他人からのもの」という部分が、到着の順序がずれていることに原因している。
「自分の声だという自己所属性」も失われれば一般に幻聴という。しかし、一般に幻聴というものよりも、考想化声のほうがの、一段、自我障害そのものに肉薄している。純化されている。
幻聴という現象には雑多なものが含まれる。耳鳴、錯覚、フィルター障害、妄想まで。
「思考の自己所属性」と「声の他者所属性」を区別して、前者は保持されて、後者が失われるのが、統合失調症の初期の症状であるというので、さすがにシュナイダーは鋭い。
「自分の考えたことだと分かっている」ためには、それが感覚として、能動感感覚部分に到着することが必要で、そのことで自己身にタリングが成立する。
それも消滅してしまうのは時間遅延理論で考えられそうだ。
自分の考えたことが自分で分かるためには、一度出力して、それを再度感覚する回路が必要なのだと思う。この回路の出力が、自動機械の出力よりも早く到着していれば(正確にいえば、早く到着しているようにタイムキーパーが制御していれば)、「思考の自己所属感」は保たれている。場合によってはそれも崩れる。すると病理はもう一歩進む。
*****
到着がほぼ同時になり、判定し難くなると、自生思考になる。
*****
離人症は、これも雑多なものを含むが、理論は自分が説明できるものだけを説明し、それ以外のものは、非純系離人症などと指定する。ずるいようだが、当面それで良い。
「体験の自己所属感の薄まり」が問題である。
「目の前にある机が机である実感」
「自分の手が自分の手である実感」
「自分のくしゃみが自分のくしゃみである実感」
こうした実感が薄れる。
「机が机である実感」つまり「机の机らしさ」を二次元に描いたのが絵画である。
そうした実感を喪失する。
「机を見る、触るという実感」-「机の机らしさ」=「机のそのもの」
であり、最後の「机ものもの」を知覚している状態が、離人感に近い。
サルトルの木の根株で有名。
さらに漠然とした圧迫感とか戦慄とかを言っているので、統合失調症の初期の体験に近いものと考えられる。
「机が机である実感」はどのように生成されるか考えると、
机を見て、触って、匂いをかぐとき、人間は常に感覚を一歩先に予想して、その後に現実に感覚している。
つまり、脳の「能動感判定部位」に、「一歩先に想定する予測」が先に入力され、「現実の感覚」が遅れて入力される。その場合は、「予測が当たった」という感覚に近い、しかしもっと瞬間的で微細な感覚が生じる。それが「ものの実感」である。
この時間差が逆になり、先に「現実の感覚」が入力され、次に遅れて「予測」が入力されると、これは「実感がない」ということになる。
離人感は、こうした「実感」の消失に関係していて、「実感」がありありと感じられるという瞬間から、もののものらしさが喪失してしまう瞬間まで、連続した体験を含む。時間差の程度による。
*****
さて、能動感判定部位は、現実にストップウォッチで二つの入力を比較しているのではない。勝手にずらせるのである。適当に時間差をつけられる。その脚色がうまくできなくなっている、失調しているのが、時間遅延体験である。
*****
リベットの実験は、
能動的運動をするとき、始めようと意思する前に、活動している部分があるという、実験結果の提出である。
その解釈については様々ある。
解釈のひとつは、「意思する→運動する」という当たり前の感覚が実は錯覚ではないかと考えさせる。
「運動を始めよ」という指令が脳のどこかで発生し、「意思が発生」し、その後で運動が発生する、と考えれば、理屈には合う。自由意志の消滅である。
私の理論は、さらにその先のことで、指令を二つに分けて、それを処理した結果をあとで比較する、その時間遅延を計り、能動性が発生し、または消滅する。
1.まず、「運動を始めよ」という指令は、結局、外部刺激に誘発されたものである。その意味で、自由意志はない。
2.「運動を始めよ」という指令は、「自意識生成部位」と「自動機械実行部位」の両方に流される。それぞれが反応をアウトプットする。それぞれのアウトプットは、「能動感判定部位」に流され、そこで判定される。現実の行為は、「自動機械」が執行してしまう。自意識は執行に関与できない。これは自由意志の否定とともに直感に反するだろうが、理論の要請である。量子力学の方程式を杓子定規に解釈すれば、多世界世界解釈になるのと同様である。
3.「自意識生成部位」は、その瞬間の「自動機械」執行には影響を与えられない。次の機会に「自動機械」執行がうまく行くように学習を促すことができるだけである。
4.学習は、現実外界をお手本にして、「自意識」と「自動機械」とで、独立に行なわれる。だから、両者がずれてしまうこともある。しかしほぼ無限に学習しているので、現実の写し絵を作ることは無理なことではない。しかしそれは刺激と反応の系列として矛盾しないというだけの世界モデルである。(そのような意味で、人間の脳は、「現実そのもの」を感覚することはできない。たった五感しかない。みどりがめでさえ、視覚神経を見ると、色の識別に四種の細胞がある。人間は色に三種、明暗に一種あるだけである。)刺激と反応の系列を着実に学習すれば、当面は事足りる。しかし一方で、人間の脳は、「外延」「外挿、補外、Extrapolation」する癖があり、それが仮説となり、現実に脳の反応を与え、現実からの反応を脳への刺激として、受け取る。そのようにして仮説は検定され、修正を加えられる。
5.仮説生成機能と修正機能がうまく働いていれば、高性能な脳である。
6.仮説生成機能ばかりが発達して、修正機能が不全である場合は、空想癖傾向となる。
7.修正機能が不全であると、学習プロセスが遅れる。
8.自意識、自動機械、現実世界の三者で様々なズレが考えられる。そのズレに応じて、人間の考えと行動が決まり、そのようなタイプの病理も発生する。
9.時間遅延理論でいうのは、そのごく一部、自意識からのアウトプットと自動機械からのアウトプットを比較照合している能動感生成部位の故障のみである。そのことだけでどれだけのことが説明できるか、試みている。
10.自意識と自動機械の、それぞれの世界モデルのズレは、たとえば性格障害の一部をひきおこす。ズレが、多重人格に見えることもある。
11.多重人格は、自意識部分の多重化によっても起こるだろうし、自意識と自動機械のズレによっても、起こると思う。言葉の定義からは、自意識の多重化を多重人格と言うのが正しい。
12.統合失調症の崩壊のプロセスを説明するものではない。統合失調症の初期に発生する自我障害の一部を説明することはできる。
*****
結局簡潔には言えないものだ。各々、外延、外挿、して楽しんでみていただきたい。